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俺たちはそろそろ救済系ラスボスを論破するロジックをもっと真剣に考えるべきではないのか

 救済系ラスボスというのは今俺が適当に考えた用語だが、まぁ言いたいことはわかってもらえると思う。そいつはなんか神にも等しい力を持っていたり、神そのものだったりして、そのすごいパワーで人類を救うために行動している。

 しかし、おうおうにしてその手段か動機か結果に大きな問題があり、それを受け入れられない主人公によって論破され、撃破されるというのが、まぁ安直に想像される流れであろう。

 だが、今のところ俺が履修した「救済系ラスボス作品」において、救いを否定する主人公のロジックに満足が行ったためしがないのである。

 なんかこう、どいつもこいつも「今あるこの現実を変えることは悪いことであり、お前は間違っている」以上のものを感じないのである。もちろん、救済系ラスボスの主張に問題があるパターンが圧倒的多数派なのであるが、主人公側の主張の根幹を占めているのは「現実は変えるべきではない」という論旨であり、仮にラスボスの救済にこれといって問題がなかった場合でも主人公たちは同様の主張をして救済を拒む、と思われる。

 だが、なぜだ?

 なぜこの現実を変えてはならないのだ?

 そもそも神的ラスボスが降臨せずともこの現実は日々変化してゆくものである。なぜラスボスだけが変化をもたらしてはならないのか?

 手段か動機か結果に問題があるから、ではない。それらは細かなディテールの違いでしかなく、いずれの作品においても問題の本質とは見なされてこなかった。

 主人公たちはとにかく「神に救われること」を嫌がるのである。

 かっこよくないからだ。

 神に恵んでもらった救いを享受して終わるなど、エンタメとして駄作すぎるからだ。

 なぜ我々はそう感じてしまうのだろうか? 今目の前にある現実が、多くの要改善点を有する不完全な世界であることに疑問を差し挟む人はいないと思うが、ではなぜ、超常的な手段で世界を改善しようとするラスボスはここまでアプリオリに否定されるのか?

 本心のところでは、現実を肯定したいからではないのか? 「自分を取り巻いているこの世界は良い感じの代物であり、いま自分を苛む苦しみは意味のあることであり、このまま何も変わらず生きていけばいずれ自分は救われる」と信じたいからではないのか?

 だがそれは、作品世界の外の、メタ的な事情である。そんなものに人物の主張が左右されている時点で、物語として誠実ではない。Aという状況に対してA'という動機が形作られ、それがA''という行動に繋がる。その論理に矛盾があってはならない。

 勘違いしてほしくないのが、俺は決して「神の救済を受け入れるのが正しい」などと言いたいわけではない。何の代償もなく恵んでもらった救いを拒むのは一向に構わないし、主人公にとっては義務だとすら思うが、その結論に対してもっと誠実かつ無矛盾な理屈が欲しいと言っているのだ。

 何らかの代償ないし苦闘がなければ救われてはならない――という無意識の主張が、主人公たちの言説には含まれている。だがそんなわけがないのだ。苦労して救われるより、苦労せずに救われるほうがいいに決まっている。苦労を目的化する思想が害悪であることは論を待たないだろう。

 もちろんフィクションと現実は異なる。現実で戦闘や殺戮など起こるべきではないが、フィクションではバンバン人が死にまくって欲しい。同じように、現実では苦労の神聖視など悪でしかないが、フィクションにおいては神聖視してよいのである。だが、物語の体裁としてR・E・A・Lなものを描こうと思ったら、現実の理屈とフィクションの理屈を矛盾なく折り合わせる必要が絶対にある。

 どうすれば「代償なき救い」を否定できるのか。

 例えばなんだ。単一の意志に人類の運命を差配させることそれ自体の脆弱性か。

 お前が生きているうちはいいが、お前の死後はどうすんだ。とか。お前が永遠に生きるとして、途中で堕落しないとどうして言えるのか。そのとき誰一人お前を掣肘できる者がいなくなるんだが。とか。まぁ民主主義を生み出したロジックはそのまま救済系ラスボスへのカウンターになりうる。

 が、それが本当に人を感動させる物語になるかと言えばぜんぜん別の問題である。民主主義の利点は目に見えづらく、感情的な共感を喚起しづらい。

 あるいは、「うるせえ俺が嫌だからお前の計画を潰す」だろうか。つまり、自分の正当性を主張しない、最初から議論をしないという立場である。この場合、作品のテーマは「衝動の肯定」になるのだろうか。ありのままの、素直な感情に従うことが大切だという。だがそれは動物の理屈であり、一般的な現代人の考えとは離れており、共感は呼べるかもしれないが主張として幼稚である。普遍性がない。

 すぐに思いつく二つの理屈はどちらも一長一短であり、俺の感情論を満足させるものではない。だが、ではどのような理屈がありうるのか。どうにか感動的で、共感出来て、幼稚ではなく、大人の鑑賞に堪えうる普遍性を帯びた理屈はできないものか。

 まだ、自分の中で結論は出ない。

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