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【note私設賞】絶叫杯 結果発表

 やあ、生物たち。

 ついにこのときがやってきた。約一ヶ月にわたる脳内蟲毒メント行為の結果、我が頭蓋の内部は酸鼻な屍山血河が繰り広げられ、もはや漿液と血糊が不可逆に混ざり合ったスーパー殺伐脳髄人と化していたわけであるが、このたびたったひとり生き残った戦士の存在を脳内に検知したのでご報告申し上げる。

 とはいえ王者の発表の前に、この戦いに名乗りを上げ雄々しく戦った勇士たち全員をまずは称えよう。

選手入場ッッッッ!!

※なお、希望者には「こうしたほうが良くなるかもしれない」的な提案を添えているが、改善案が思いつかなかったので希望されたにもかかわらずイチャモンをつけていない作品もチラホラと存在することをあらかじめ申し上げておく。また、俺に何を言われようがそれに忖度して書きたいものを歪める必要などまったく一切ない。あほなこと言ってんなと思ったら鼻で笑って無視するべきである。一番大事なのは各人の衝動である。異論・質問は常に受け付けております。

 ゲームを愛した男と、ゲームに愛された男の物語。過去と現在が交互に立ち現れる中で、主役二人の確執とクソデカ感情の理由が徐々に明らかになってくる構成は、オーソドックスに高い求心力を持って読者を引っ張ってゆく。本作の最もユニークな点は、「ルールとマナーを守って楽しくデュエルしよう」という結論めいた主張を前提にして、「いかな個人競技と言えど完全に一人で戦っている選手はいない。個人の力で集団には敵わない」というリアルでシビアな力学を克明に描き出し、ドラマに不可欠のパーツとしてきっちり機能させているところである。普通、ゲームを題材にした物語を創作しようとしてこの発想は出てこないし、出たとしてもここまで鮮やかにストーリーには組み込めない。たぶん、ここに関してライオンマスク=サンはすごいことをしたとは思っていないような気がするが、実体験を雑味なく物語に昇華できる冷静さと緻密さは誰でも持てるものではない。

 永遠の少年少女たちの物語。参戦作品中最もユニークな世界設定が光る。異様な状況の中で繰り返される入学と卒業のサイクルを、「秘蔵空論」の一節を繰り返すことで、きちんと意味を持たせて学園の正体に繋げている点がお見事。畳み掛けるように同じセリフが繰り返されるラストシーンは圧巻の読後感を持って読者を打つ。アクの強い多数のキャラクターたちをまとめ上げ、関わり合わせ、それぞれの末路をきちっと描き切った時点で勝利は約束されていた。主催者としてはもちろん金堂さんが最推しであり、マッシブ! 勇猛! カリスマ! あらゆる意味でデカい男概念である。

 登場人物の行動原理というか、何を好み、何を嫌い、何を求めて行動しているのかがストーリーの前半ではまったく不明瞭な点がひっかかった。それも一人や二人ではなく、ほぼ全員が何を求めて戦っているのかわからないのである。金堂さんはいきなり平等院氏をボコりだすが動機はわからない。平等院氏はいきなり金堂さんを逮捕する挙に出るがどうやら仕返しではないらしいこと以外の動機はわからない。鏡ら三人が敵意剥き出しに襲い掛かってくるが動機はわからない。半跏思惟は助けてくれるが動機はわからない。平等院氏は助けてくれた半跏思惟を蛇蝎のごとく嫌うが理由はわからない。登場人物の誰一人として納得のいく行動原理が提示されないまま、かなり長いこと読者は放置されているのだ。鏡ら三人との戦いは激しく目を惹くが、敵も味方も動機が分からないので「いったい彼らはなぜ戦っているんだ……?」という疑問が真っ先に立ち、バトルを正しく味わえなかった。鏡一味が金堂さんへの忠誠や友情ゆえに挑んできている事実はもう逮捕の直後から明確に示しておくほうが良かったと思う。

「てめえらは汚したんだ。学園の秩序を。てめえらは汚点だ。てめえらの存在は学園の汚辱そのものだ……見逃せねぇ。見過ごせねぇ。なあ、おい!」

 というセリフから、鏡さんが金堂さんに友誼や敬意や忠誠を抱き、彼を逮捕した平等院氏への憎悪を募らせていることを、俺は読み取ることができなかった。というかこのセリフが何の裏もなく本心100%で発言されているなどと想像だにしていなかった。事前に金堂さんへの執着や敬意をきちんと何度かに分けて匂わせておけば納得感はあったと思う。

 いや、敵の動機が分からないことは、興味を引く謎として機能させうるのでそれはそれで問題ないとも言えるのだが、主人公である平等院氏の行動原理だけは包み隠すべきではなかったと感じた。設定上こうなるのが避けがたいのはわかる。わかるが、前半において読者と同じ視点で世界や戦いやドラマを見て、泣いたり怒ったりする役割の人物が本作には一人もいないのである。正直に言うと俺は平等院氏がどういう人物なのか、最後まで読んでも腑に落ちない印象を持った。人懐っこく子供っぽいやつなのかと思えば、激怒する鏡さんにナメた口をきいたりするし、半跏思惟の指を折ったり、冷徹で暴力を厭わないのかと思えば敵を退学(ころ)すのは激しく後悔する。どうもこれらの行動が、多面的で複雑な人格の発露というよりは、ちぐはぐで一貫性がないように感じられていた。後半で「卒業するとどうなるのかわからないので、憂いのない卒業をしたい」という動機が判明するのだが、これも首をかしげる。確かに「卒業するとどうなるのかわからない」ことに一抹の不安を覚えるのはわかる。わかるが、それが主人公を突き動かす強い動機として機能しているかは疑問だ。「漠然とした不安」以上のものを感じようがない。現実の学生だって卒業後に不安を覚えるのは普通のことである。いきなり生徒会長を逮捕するような大胆な行動の理由としては弱いのではないかと思う。

 ではどうするのかというと、あくまで「俺ならこうする」というものでしかないが、ストーリー前半のセントラルクエスチョンは平等院氏が転校してくる前に起こっていた生徒失踪事件にするといいかもしれない。ごくシンプルな正義感に従って平等院と櫻坊は調査を進め、どうやら生徒会長がこれに関わっているのではという疑惑をもとに金堂さんに挑む、的な。とにかくわかりやすくシンプルな動機を序盤のうちに提示する必要があると感じた。もしくは、あくまでも主人公の動機を前半は秘したいのならば、櫻坊くんを「読者と同じだけの情報しか持っておらず、読者が容易く理解できる単純な動機を持ったワトソンくん役」に任じ、ミステリアスな主人公に振り回されるタイプの話にするか。

 ある親子の物語。筆者は推理小説はほとんど読んだことがないが、たぶんこれは伝奇小説とかそっちの文脈で読んだ方が良いような気がする。終盤に明らかとなる、とある人物の正体は、ジャンルをまたいだミスリードとして予想外の方向から殴ってくれた。作中で発生した殺狼事件が、結局のところいかなる手段で成されたのか最後まで明らかにならないのは、クローズドサークルがそもそも成り立たなくなっている現実への諦念や皮肉を感じる。いや俺は推理小説ほとんど読んだことのない分際で適当なことを語っているが。作中に登場しない部外者による犯行の可能性を、厳密には否定し切れない現状に対する回答のひとつであり、自ら作り上げた孤立山荘を破壊し踏みにじることでミステリーとの決別を図ろうとしているようにも感じられる。さして丁重な扱いを受けていたわけでもなかった人狼社会だが、去り際にきちんと埋葬するあたりに、主人公の切ない寄る辺なさが出ている。

 時代に取り残された二人の男の物語。鍛えに鍛え、己の魂を預けた武力や技巧。しかして太平の世においてはそのような戦いの手管など求められてはいない。己が人生を無言のままに否定され続けてきた二人の男が、導かれるように出会い、魂で語らい、誇りを分かち合い、そして本懐を遂げた。エリュート氏の高潔な狂気に目頭が熱くなる。そして敵役を務める人物の最後の行動にも惜しみない称賛を送りたい。作中に登場するレジェンダリー魔剣の名が「速い剣」「強い剣」「賢い剣」というあまりにも思い切ったセンスに謎の凄みを感じた。絶対ヤバいやつやんこれ……。バノさんの懐の深さが実になんというか菩薩というかオカンというか、どう見ても何の生産性もない、ついでに言うと復讐ですらない愚かな戦いに赴く親友に対し、その行いの是非など一切問わず、やれともやめろとも言わず、ただ美味いメシを喰わせてやる。何も言わずとも、エリュート氏への尊敬の深さが感じ取れる。

 結果が出ず書けなくなった男と、結果は出たのに書けなくなった男の物語。言うまでもなくこれは俺にとってもクリティカルに刺さるテーマであり、すべての創作者に読んで欲しい内容である。大規模なカタストロフが起き、綺羅星のごとき多数の登場人物がそれぞれの見せ場を繰り広げる中、しかして主役は壇上の二人であり、本作に登場する要素のすべてはバティ氏とアスネ氏の激重感情の激突に奉仕する存在だ。どでかい大風呂敷を拡げておきながら、最終的にたったひとつの感情と決着に収斂してゆく。贅沢な創作力の使い方だ。それゆえに構成は機能美を帯びる。認められながら自分の創作力を信じられない男が、しかし認める相手はいた。その相手は認められていないと思い、創作に絶望してしまっていた。いったい、認められた者が認められなかった者になにをしてやれるのだろう。何もできはしないし、できるなどと考えるのはおこがましい。是非はともかく、彼にとって悪に落ちることは必要なプロセスだったのだろうと思う。

 乱世を鎮める男と、民の安寧を守る男の物語。陳宮っつったら味方殺しのクソ眼鏡というイメージが俺の脳内には完全に定着していたのでFGOは本当に悪いゲームだと思います。そのような偏見とは裏腹に、本作の陳宮は理想主義と現実主義を極めて高いレベルで兼ね備えている有徳の士であり、民の命に直結するインフラを破壊してでも勝利を得ようとする曹操と激しく対立する。だが一見暴虐にも思える曹操だが、まず勝たなければ太平も何もないという如何ともしがたい現実を前に、必ずしも間違っているとは言い切れないところはある。非情の策を執らずとも曹操は勝てたかもしれないし、治水を蔑ろにしたとしても民草はなんとか持ちこたえたかもしれない。何も断言はできないのだ。それゆえに両者は妥協ができなくなった。だが、根本的に両者の間に敬意と友情がなければ本作の状況は成立しえなかった。人は、認め合っていてすらわかり合うことはできないのだ。

 ただ、全体として議論に展開がないことが気になった。つまり最初に提示された「治水を蔑ろにするな」「勝つためには仕方ない」というお互いの主張が平行線のまま繰り返されるばかりで、議論が前に進んでいないのだ。水掛け論から脱却するには、相手の主張そのものではなく、主張を成り立たせている前提を否定する必要があると感じた。

 夜に魅入られた男と、夜を拒絶した男の物語。吸血鬼を滅ぼすために第二の太陽が創り出されたというぶっ飛んだ設定にまず頭を殴られた。そこまでする!? 凄まじい流血と怨恨があったことを魂にわからせてくる。本作の主人公は吸血鬼であり、人類の敵である。人類をブチ殺しまくった過去を恥じることもない。だが俺はこやつを主役として受け入れるのにまったく何の抵抗も抱かなかった。不条理に怒り、逆境に怒り、策を練り、吠え猛り、命を賭ける。嫌味のない素直で鮮烈な生きざまに、人類の立場でありながら彼を応援している事に気づく。本気で生き、本気で戦い、本気で殺し、自己憐憫など一切抱かない。それゆえに本作のエピローグに関しても、負けを認めるしかない。屈折のない真っ直ぐな敵意によって打倒された。不思議と清々しい読後感であった。しかし吸血鬼は人間なしでは生きていけないが、人間は吸血鬼なしでも生きていける。きっと戦いは終わらないのだろう。それがいいしそれでいい。

 絶叫相手であるヴァーニー氏が、主人公の前に立つ存在としての重みに欠けている印象を受けた。主人公が「混沌・悪」なのだから、「秩序・悪」もしくは「混沌・善」方面で、何か読者の魂に訴えてくるような独創的で説得力を帯びた思想性を発揮してもらった方が絶叫シーンがよりエモくなった気がする。

 弱きをたすける男と、強きをくじく男の物語。徹底的に説明をしない筆致は、読解難度を上げるものの、独特の雰囲気を作品に付与している。テロで世界は変わらないように、義賊も社会を変えることはできない。だが、だからといって体制の枠組みの中での合法的努力ならば変革をもたらせるのかと言えば厳しいことが多い。ではどうするのか。本作のラストで示された解答に、読者は打ち震えることであろう。間違いなく絶叫杯中最も衝撃を受けたシーンである。途中経過をダラダラと描かず、結果だけをスッと出してきた思い切りが、この衝撃を担保していたと思う。無慈悲だが、同時に慈悲深い結末だ。主人公たちは決然と差し出し、その覚悟は報われた。支払った代償は決して軽いものではなかったが、ともかく報われはしたのだ。それは奇跡的な僥倖であり、ディッグアーマー=サンの祈りが込められているようにも感じた。衝撃的だが、同時に美しい結末だ。

 シンプルな結末を目指した男と、シンプルな過程を重視した男の物語。ポストアポカリプス世界を舞台に、読者に近い視点のヒロインと、謎めいたヒーローの邂逅より幕を開ける。文章は平易で読みやすく、最小限の記述で見事に世界設定を表現している。やがて世界をこの状態にした存在と相対するが、そのドラマの本質は三人の幼馴染による愛憎であった。個人的には互いの名を絶叫しながら殺し合う相手として「男の幼馴染」は最エモ種であり、絶叫杯的にポイントの高い人選であったことは特筆しておこう。やはりブッ殺したりブッ殺されたりする相手として男の幼馴染ほど魅力的な存在はない。だがここで意外な展開となる。主人公が絶叫相手を自分自身の手で殺さないのである。何ということか。そこにどのような心理が介在していたのであろうか。「お前など殺すに値しない」なのか。「殺さねばならないにしてもお前が死ぬところなど見たくない」なのか。さまざまな想像を膨らませるラストである。

 砕く男と、創る男の物語。膂力の強すぎる主人公が、それゆえにきつい経験をいろいろして、己の力を厭うている。抱擁どころか、柔肌を撫でただけで何故砕け散る。なんたる無情。こういう主人公を救う存在としてまっさきに考えられるのは、防御力がカンストして主人公のスキンシップをものともにない奴ではないかと思うが、本作の場合は防御力自体は人並みの存在である。主人公に匹敵する特異能力を持ってはいるが、別に何があろうと壊れない存在ではない。そのような人物が、主人公の力を身をもって味わってなお主人公を受け入れ、共に行こうと言う。自分が安全だから共に行くのではなく、壊されてもまた作れるから共に行く。つまり壊すというところまで受け入れているのである。実になんというか、懐の深い男である。まぁこいつも主人公を殺しうるのだから立場としては完全に対等だけど。互いに自らを害しうるにもかかわらず、いや、だからこそ、彼らの道は交わったのだ。

 あとをものっそい濁すやつらの物語。冷徹な殺戮者としての個性と企業に勤める社会人としての個性が矛盾なく同居しているキャラクター性が白眉。なんつってもこの主人公、死体として出てくるモブキャラすべての名前を憶えているのだ。進撃のライナーめいた罪悪感からの人格分離ですらなく、ごく自然体にモブキャラを心配したり愚痴を言ったり、完全に素のテンションで世間話をしつつ同時に殺しまくる。そして「異様なことを書いてやろう」という作者の作為などまるで匂ってこない渇いた筆致に空恐ろしさを感じた。だが、常に平静なこの主人公が、唯一私情を向けた相手がいて、その相手こそがラストの展開に関わってくるわけであるが、つまるところ主人公にはちゃんと情があり、作中での殺人行為のすべてに対して楽しみなど一切覚えていないのだが、自分の中で欲求の優先順位をきっちりと決めることができるだけなのであろう。サイコパスとは少し違うのかも知れない。

 噺を作った男と、噺を物にした男の物語。まずは何はなくともエピローグの大虐殺の文章表現に、心の底から度肝を抜かれたことを言及しないわけにはいかない。俺も大概ひとがしぬ場面は描いてきたし読んできたが、本作のような切り口はまったく想像だにしていなかった。途轍もない衝撃を受けた。まずそのためにオリジナルの落語を創作し、それがちゃんと面白いという事実に並々ならぬ気合と覚悟を感じ取った。そして連呼の合間に挟まれるちょっとした一言で状況を完全に理解させる手腕。奥さん、これはすごい物語ですよ。各話平均では参戦作中最もスキを集めたのも必然と言えるだろう。

 だが、正直に言おう、俺は今まで落語をまともに見たことは一度もなく、「なんか和服着たおっさんが客の前でおもろい話をするショー」ぐらいの、極めて解像度の低い雑な理解しかしていなかった。そしてそのような読者層は決して無視して良いほど少なくはないと思う。そういう前提に立って本作を見ると、前半のつかみを完全に失敗している。裏落語のなんたるかがまったく理解できないのだ。俺の落語イメージは上記の通りであるから、本作前半を読む過程での思考を活字にすると「チェーンソーが出た…? なぜこの場にいきなりチェーンソーが…? よくわからないが主人公はチェーンソーを出現させる異能者なのか…? それが落語と何の関係があるんだ…? なにか、実在する落語ネタにチェーンソーを題材にしたものがあって、本作はそれをなぞっているのか…? 今度はハサミが出た…やはりこいつらは何かを出現させる異能者なのか…え、それのどこが落語なんだ…? 裏落語…? 武器を具現化する異能が落語…? わからない…どういうことなんだ…あ、サウナがものっそい熱くなってる…熱を操る能力者なのか…いやだからそれ落語と何の関係があるんだ…? 変身に、分身…? いやそういう能力者ならそれでいいんだけど、なぜ彼らは自分の異能力を裏落語などと呼んでいるんだ…ぜんぜん落語やってないじゃないか…あぁ、わかんねえ…何もわかんねえ…」という具合に、面白いとかつまらないとか言う以前に電楽サロン=サンの意図がまったく伝わっていないのである。俺が裏落語のなんたるかについて理解し始めたのは、実に四話に至ってからであった。話の前半を、脳裏に「???」が乱舞している状態でどうにか読了したのである。つまるところ、落語とは単におもろい話をするだけのことではなく、噺と見立ての技巧によってそこにありもしないものを客に幻視させ、錯覚させる総合芸術であり、裏落語とはその遥かな延長線上にある超絶技巧であると。刃牙がカマキリとカラテして実際に負傷するように、裏落語家たちはそこにありもしない凶器を錯覚させて、実際に錯覚で人を殺せるのだと。四話の敵の説明でようやくこのことを理解できたのだ。

 当然、これは一話のなるべく早い段階で読者に理解させるべき事柄である。この問題は深刻な作者と読者のすれ違いを発生させており、絶叫杯の審査をするという目的意識がなければ、正直四話までたどり着けていたかは怪しい。俺が特別無知で鈍い読者であることはまぁうん、認めるしかないのだけど、ここで落語まったく知らん人間を振り落とさずとも本作の価値が減ることはありえないと思う。

 自分の居場所を守ろうとする男と、自分の居場所を創ろうとする男の物語。まずはこの分量の大長編をきちんと破綻なく書き上げ、完結させたことに敬意を表したい。この偉業を成し遂げた時点で白銀=サンは全小説書きの99%より上にいる。文章の体幹もしっかりしているし、多数の登場人物をそれぞれの結末にきちんと導いた手腕には盛大な喝采を送りたい。

 だがこの大長編に最後まで付き合った者として、これだけは申し上げなくてはならない。不必要な説明文があまりにも多すぎるのだ。もちろん、読者は提示された設定や人物や状況を百パーセント覚えてくれるわけではない。まぁ、いいとこいって七割程度しか覚えてないことが大半だ。しかし本作はその七割程度の記憶でもわざわざ説明されるまでもない自明の事柄となっているすべてに対して毎度長々と説明文を挟み、執拗に復習を迫ってくるので、ストーリーの進行が大幅に阻害されているのだ。先述の通り文章自体はしっかりしているのに、その文章で語られる内容がすでにわかりきっている既知の情報の羅列であることが大半であり、体感的には読書時間の半分をそのようなエンターテインしない文章を読まされることに費やす感じになってしまっている。正直に言おう、苦しかった。読者をもう少し信用してください。確かに俺たち読者はアホです。アホですが、さすがに本作が想定するほどアホではないのです。というか本作に関しては、この過剰介護的説明文の乱打を、必要最低限のみ残して削るだけで、クオリティが爆上がりするであろうことはかなり確信をもって言える。ストーリーの進行が圧倒的に加速し、息もつかせぬ読書体験に誘ってくれる。そういう予感がある。

 弟子を喪いたくなかった男と、息子を喪いたくなかった男の物語。とにかく主人公ハーランの人格造形が素晴らしい。嫌な奴だが、嫌な奴の一言では説明したことにならない重層的な人物描写が非常に印象的だった。森とーま=サン的にはエミュレートによって出力された理解しがたい人物のようだが、俺には非常に卑近で他人事ではない悩みを抱えた人物として受容された。主人公に本当に必要だったものは、月並みながら「凡才だろうと生きてていいし幸せになっていい」という許しだったのだろうと思うが、彼に別の才能が見いだされてしまったせいでその道は閉ざされてしまった。だが、才に溺れて破滅するような、弱者のルサンチマンにおもねるような安直な展開にもならず、最終的にはそんなに悪くもない結末に至る。才能は人を孤独にするし、ある種の救いを遠ざけもするが、しかしそれはそれとして価値あるものではある。それを衒いもなく自然体で言える視点は、希少だと思う。

 復讐に揺れる男たちの物語。まず冒頭のシーンが秀逸であった。説明もなくこの世界がどういう世界でこの作品がどういう作品か一発で魂にわからせてくれる。平穏な社会は一皮むけばゴアと怪奇が支配する楽園であり、心から信用できる者などいない――その縮図がミニマルかつエモく表現されている。そしてアクションシーンでの、「、」をあまり使用しない細切れの文章の連続によるテンポ感が好みである。ストーリーは復讐譚、と言えなくもないのだが、すでに復讐を果たし終えた者、果たせなかった者、これから果たそうとする者などの物語であり、本編時系列中に復讐を完結させられる者は実は一人もいない。この事実は、復讐に対する皮肉な眼差しを暗喩しているような気がする。登場した四人の復讐者の末路は明らかに不公平な結果に終わっており、復讐という生き方にもこの不公平を是正する力はなかったことが示されている。復讐万歳な昨今のノリとは離れた、透徹した復讐観だ。

 フランケンシュタインの怪物とTS美少女と憎めないチンピラの物語。リアルで緻密な世界設定と、超人的なアクション、主人公たちのキャラクター性が魅力。なんとなく子供か小動物と絡ませたくなる三人である。口調はキツイが拾造くんにダダ甘な吹雪さんがカワイイなのだが、男……男なのか……おぉ……。気は優しくて力持ち概念の拾造くんは、一方で終始冷静沈着に戦いを進めており、戦闘者としての適性は意外にこいつの方が高いのではないかという怖さがある。

 小物の腰抜けだが、奇妙な度量のある長谷川氏。彼の奮起と変化がストーリーの中核を占めていると思われるのだが、絶叫杯的には元上官の刀禰氏との関係性をもっと描写して欲しかったと感じた。憎悪でも、敬意でも、恐怖でも、軽蔑でも、なんでもいいがお互いにとってお互いが大きな存在であり、絶叫シーンのエモを最大化するための積み重ねの描写が必要であるように思える。

 世界設定はリアルで緻密なのに対して、改造人間回りのリアリティレベルが低く、ちぐはぐな印象を受けた。つまり、いかなる目的・運用思想で創造され、どのような原理で超人的な身体能力を実装しているのか。作品世界と同じくらい高い解像度でさりげなく描く必要があると感じた。もしくは世界の描写の解像度とリアリティレベルを適切に下げて改造人間が浮かないようにするか。

 文章面で思ったのが、比喩表現の使い方に偏りがあるということだ。「~~のような」という直喩表現は散りばめられて問題なく文章を彩っているが、暗喩表現となるとほぼ0だったのではないかと思う。小説の味わいの中核を占めるのは暗喩表現だと思うので、意識して使ってみるといいかもしれない。もちろん暗喩ばかりになると可読性が大きく損なわれるので、直喩表現が三つ来るたびに暗喩表現をひとつ盛り込む、ぐらいのペース配分がオススメである。

絶叫王者選考基準

 以上、十六名の戦士たちが覇を競ったわけであるが、ここで栄冠に輝く一人を選び出す基準をあらかじめ述べておく。

 1、絶叫シーンのエモ

 どれだけエモかったか。単純ですが、一番大事な基準ですな。

 2、絶叫シーン以外の要素が、絶叫シーンのエモに貢献できているかどうか

 つまり作品全体として、絶叫シーンを盛り上げるという目的に叶うような設定・人物・作劇になっているかどうか。絶叫シーンとは関連の薄い要素が強かったりすると、少なくとも絶叫杯としては苦しい戦いを強いられることになるでしょう。

 3、単純に小説作品として面白いかどうか

 歪なレギュレーションの本賞ですが、一応、これも選考基準ではありました。

 4、ちゃんと絶叫しているかどうか

 腹の底から、喉も涸れんばかりに叫んでいるかどうか。セリフでも、地の文による補強的描写でもいいですが、絶叫していることが感じられる記述になっていると有利になります。

 重要度は、1>2>3>4だ。

 以上の基準に則り、栄えある絶叫王者を発表したいと思う。

栄冠に輝くのは……ッッ!!

























『魂の灯』である

 まず絶叫し合う両者が、互いにとって大きな存在であったこと。その絶叫には嫉妬や敬意や無力感や怒りや共感や友情や、その他名付け得ぬ割り切れぬ複雑な感情が込められており、もう叫ぶしかないのだという圧倒的な納得感。そして作品テーマがあまりにも俺に刺さった点。構成要素のすべてが絶叫シーンを盛り上げることに貢献している点。ごく単純にオタク的趣味で巨大ロボが派手にドンパチしまくるのにウィーピピーした点。主演の二人が他を圧倒的に隔絶する強大な機体を駆り、死力を尽くしても決着がつかず、後には決して引けず、コックピットを飛び出して絶叫しながら殴り合い、命の最後の一滴まで使い尽くした壮絶な決着。そしてヒロインのカワイイさ。すべてが俺の魂の灯に強い衝動を湧き起らせた。

 作者の遊行剣禅=サンには初代絶叫王者としての栄誉と、賞金一万円を捧げたいと思う。素晴らしい作品をありがとう。

 そして、彼と競い合ったすべての勇者たちに敬意と感謝を。かなりの接戦であった。

 そして、作品にそれなりの分量のレビューを書く経験は、「感想を出力できない病」に陥った俺にとっては荒療治としての効果があったと思う。大変ではあったが、得難い経験となった。

 賞金の授与は、明日の夜に執り行います。

 参加してくれた人々。書き上がらず密かに涙を飲んだ人々。絶叫杯をシェアツイートしてくれた人々。参戦作を読み、スキを押してくれた人々。そして素晴らしいヘッダーイラストを描いてくれた安良=サン。並びに本賞のマスコットキャラクター(!?)を務めてくれた山田氏と鈴木氏。すべての人々に尽きせぬ感謝を!

 今後も「野郎どもが互いの名を絶叫しながら殺し合う」物語をnoteで見かけたらバールまで一報いただけるとウレシイです。サポートを投げつけます。

 良かったら俺のも読んでね!


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