ゲームを買ったのに遊ばない理由

 別に、時間がないわけではない。なのに遊ばないゲームがPCの中に沢山溜まっていく。何故かと問われればそれはセールで安かったからとか昔はやったゲームの完全版だったからとか人との交流のために浅はかに買ったクソゲーだからというのもある。
 では、それらは皆「悪いゲームだったか」というとそうではない。名の知れたものを手に入れた安心感があり、しばらく遊んでいられるだろう。だけれど私は起動しない。起動してもフルスクリーンからウィンドウに切り替える設定をしながら「ああ、これはゲームパッドがないと遊べないな」と言うだけのことしかしていない。
 では本編を何故やらないのかと問われれば3つのことが挙げられるだろう。

1.私が得意なゲームではないから
 正直私はゲームが下手だ。FPSなどの動くゲームやみんなで協力して戦うもの、アクションもの、効率よく物を配置して国を管理するもの、パズル、麻雀etc…。ゲーム全般、苦手である。負けのほうが多い人生を送ってきたみたいなことを言っても良い。
 人に遊んでいる所を見せると指示厨が「なんで〇〇なの」と言ってくるので、配信で遊ぶ時は完全に「何が起きても良い」と思えるものを選ぶようにしている。配信が無くても心の中の「名作ゲームに懐かしいという感情を抱くエアリスナー」がゲームに対して文句を言ってきそうだと思って、想定の段階で萎える。
 みんながしているゲームをやってみたいというのが理由でそのゲーム自体が好きでやってるわけではないから、プレイすることで好きになりたいけれど、好きになる段階まで行けないのが現状だ。

2.普段無音で暮らしているから
 普段から携帯ゲームはイヤホンをせず無音でプレイしがちなので、壮大な演出に感情移入する大作RPGをやるとBGMや効果音を知らずに過ごしてしまい、他人と共感できないことがある。後に自分の頭の中でイメージした音と実際の音で解釈違いが起きて衝撃を受けることもある。ボイスは聞きたいがイヤホンを付ける時間を作る必要があり、イヤホンしてる時だけプレイするみたいな妙な縛りが出来る。それでシナリオとボイスが良いと評判のスマホゲームを数作品「後でストーリーを読もう」と言って先延ばしし、旬を逃してアンインストールしたことがある。

3.名作だと呼ばれているものに自分の感想を持ちたくないから
 私のゲーム歴は後手である。小さい頃遊んだゲームはぷよぷよ、牧場物語、ポケモン、ハムスターを育てるやつ。みんなが名作と呼んだり沢山シリーズのあるものはほとんど触っていない。
 だからこそ、興味があって買うのだが、PCで遊べてセールで安く売っているゲームはみんながもう知り尽くしているものだというのがわかっているので、今から遊ぶのが少し怖い。
 昔から、名作、名著と呼ばれるものが苦手で、無知であることが恐怖であり、ベストセラー本を買うことが不安であった。テレビで面白いと言われている小説が自分も面白いと思えるかが不安で下手に読めない自信がない。
 そのルールがゲームにも適応するらしく、買ったは良いけどタイトル画面でソワソワしてどうにも進まない。
 ファンアート等を見ているから知っているキャラクターが沢山出ているゲーム、原作、全ての始まりを知るのがちょっとだけ怖い。
私はちゃんと〇〇良いよねって言えるだろうか。
にわか知識からおさらば出来るだろうか。
いっそ知らないことのほうが良いのでは。

そんな事ばかり考える。

 最終的には「やれ」って話だけど、それでも、それでも怖いものは怖い。不安である。不安の分だけ期待感があって、楽しみではあるのだけど、起動することに勇気を、努力をもう少し、もう少し欲しい。

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