小さい頃は漫画家になりたかった。

 小さい頃から漫画とゲームとアニメを見て育った。毎日絵を描いたが全く進歩せず、自分の物体への認識力の低さを何度も呪った。漫画が好きなのだから一度くらい、漫画を描いてみたい。そう思い、ノートに描いてみるけれど、設定だけでもう嫌になってぐしゃぐしゃにしたり、買ったばかりのノートを3ページだけ書いて放置したりそういう子供時代を過ごした。

 漫画が書けないなら小説家か原作者になれば良いと考えたのは中学の頃、文章を書こうとしても「何から書いたら良いのか」がわからなかった。設定はある。だがそのキャラクターは何をしてこれからどうするのか。やあこんにちは、元気。そんなことは言う必要のない世界観を書いておきながら、それくらいしか思いつかなかった。リアルでも空想でも私はコミュ障なのである。

 漫画が好きだ。アニメが好きだ。だからどうしてもその見ている媒体に文句がある。いらつくことがある。褒め称えたい時もある。編集部に漫画家にアニメーターに全部に文句が言いたくなる時がある。私だったらこうする。もっとこうして欲しい。そういう妄想、二次創作、あったかもしれない展開が私の創作の動力源なんだけど、書けないのなら編集者になって、お気に入りの漫画家だけの月刊誌が作りたいと思っていた。だが私は自他ともに認めるほど「人を世話する立場」というよりは「世話される側」なので、編集者になって人の支えになるなんて、そんなことは多分出来ない。じゃあ声優はと考えたこともあったけど、私は緊張しいで子供の頃から人前に出て動き回ると過敏性腸症候群のガス型でおならが出てしまう。おならとの戦いで演技どころではない声優なんてそんなの目指すどころではない。もじもじして何も喋らないコミュ障がそんなこと出来るわけがない。

 おならは学校を卒業して人と会わなくなったら自然と止まった。他人と関わるというのが私にとってストレスだったのだろう。でも完全な人嫌いとかではなく、近くで様子を見るのは好きだった。画面越しなら緊張しないから、インターネットで交流している現在は一番楽しい気もしてくる。

 28歳現在、私の画力はパソコンによって上がりつつあった。人間努力が大事だと何度も描くことが大事だと言うけれど、今までの私は絵を描いては紙をグシャグシャにして捨ててしまったり、消しゴムで描き直すこと無くビリビリにしてしまったり「失敗」や「やり直し」を苦手としていた。

 それが現在、ペイントソフトのおかげで何度もやり直したりなぞったり出来るようになったおかげで少しだけマシになった。そして3Dソフトの発達により、棒立ちだったポージングや服装にも少しだけ変化が起きたりしている。Vtuberの到来が画力向上に繋がるなんて、昔の私は思わなかっただろう。
 では漫画は描いているのか。小説は書けているのか。という話になると別で、私は完結させることが出来ない、最後までやりきることが出来ないという問題を抱えており、今も漫画や小説は書けていない。始まりから終わりまで、何を話せば良いのか、創作系は全くだ。

 私の得意な文章は新聞のような固いものであるらしく、小説を書くと設定だけで論文のようになってしまい、途中でプロットにはラブコメと書いてあるのにどうしてこうなったとイラツイて止めることが多い。きっと書き切れれば何かしら良いことがあるかもしれないが、未だにちゃんと書ききったことがない。

この記事もどう締めればいいか迷うほどだ。

 最後に私が今やっている活動を紹介しよう。1つ目は生放送、インターネットで不特定多数の人物とやり取りする雑談やゲーム配信、お絵かき放送。これがけっこう楽しい。2つ目は絵を描いてTシャツにして売ること。最近のインターネットは絵を描いてアップロードするだけでTシャツやマグカップが作れる。冗談半分に「こういう絵って世の中にありそうだよね」という想像の絵を描いてはうpしていて、いつ他人と丸かぶりするかヒヤヒヤしている。3つ目は特に考えてない。だいたいこういうのには3つ目があるものだけど、今は思いつかない。

漫画絵が描けなくて辛くてムカついて、親にも指摘されたりして嫌になって、じゃあ親がびっくりするものを、精神を病んだ絵を描こうと描き始めて1年。今はこういう絵を描いている。

なんとなくで描いているが泣いている絵が多い。こういうのをTシャツにして遊んでいるが、地味に需要はあるようで、ちょっとだけ売れている。
売れているが、新作を描こうとしても全く描けないし描いても判子絵になるから個性ってやつがどこにあるのかすごく迷う。

オチはどう締めればいいか、どういう文章を書けば良いのか。
いつも迷うので、今日はこれで終わりにします。

良かったらショップを見てくれると嬉しいです。

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