ようやくの表情

常に其の存在を感じながら、ようやくの表情で安堵するのです。

踊り明かせてはしても、踊り狂うことができない哀れな僕というのも同時に存在しているのです。

手紙の書き方を忘れてしまっても、日々を暮らすことは可能なのです。

しかしながら、水彩画の描き方を忘れてしまった場合はどうでしょうか。

まったくもって残念としか、形容し難いのです。

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