僕の星はまだ少し余裕があるから

2019.11.07  

「別れようって、決めたんだ」

こちらを気遣うような、申し訳なさそうな目線。その言葉は、ひどく軽かった。決めた? それは一人で決める事なの? なぜこのタイミング? 前会った時は好きって、楽しいって、言っていたでしょう? 夥しいクエスチョンマークの群れに耐えられなくなって、僕は尼寺へ駆け込んだ。

数少ない異性の友人に、悩みをつらつらと述べ立てた。もがいて、もがいて、疑問の荒地の中に論理の筋道を開こうとした。それでも、何本と道を連ねても、結局終着点は一緒だった。つまらない未練をまだ抱えながら、こうなるべくして、こうなったのかもしれないと感じ始めた。

「その人」と会ったのはそんな日。間違いなく、人生最悪の日、のはずだったのだが。

「その人」は見るからに優しくて、慈愛が指先から溢れるような女性だった。僕、失恋したんですよ。笑いながら告げると、目を丸くして、「奇遇だね、私もなの」。絶対に自分も辛いはずの「その人」は、しばらくしてから僕にお菓子をくれた。「元気出してね」。優しさの味がした。

その晩、失恋について二言三言のメッセージをやりとりしてから、僕らの言葉の往復が始まった。好きなアーティストの話、お互いの生活の話、etc。言葉を交わすうちに、心の中に安らぎめいた気持ちが芽生えていくのを感じていた。我ながら軽薄な男だと自嘲した。早く会って、話を聞いてみたい。小降りの思いは積もった。

そしてあの日。僕の胸に、ときめきの火花が散った。ころころと変わる表情、後輩を見つめる眼差し、こちらを意味ありげに覗き込む眼差し。すべてが可憐で、清冽で、どこか儚げだった。この人となら、と期待する自分。なんでこんな時期に、と戒める自分。侃侃諤諤の合議の結果は「とりあえず、アプローチしてみる」。

そこから距離が縮まるまで、時間も手間も必要なかった。唯一の誤算は、あまりに早くお互いの気持ちが接近した事だと言っても良いと思う。ちょっとしたアクシデントを経て、僕らは交際することになった。

彼女から想いを告げられた時、困惑が無かったといえば嘘になる。僕は彼女に十分に惹かれていたといえ、行く末を決められる程お互いを知っていた訳では無かった(と、思っていた)。このまま流れで決めてしまって、良いのだろうか。これでもし失敗してしまったら......。それでも僕が踏み切った理由は、ひとえに彼女の魅力と精神性にあった。

彼女は自分に魅力なんて無いと言い張る。度が過ぎた謙虚だと思う。少なくとも、その当時の僕にとってさえ、彼女は人生で出会った最も魅力的な異性のひとりだった。端正な顔だち。可憐な容姿。身内への慈愛の深さ。大切な人を慮るに足る知性。何か一手間かけて楽しもうとする遊び心。テンションがすぐに出る純さ。挙げて行ったらきりがない。これらでさえ、彼女の魅力の一つに過ぎない。

しかし、そうした美点を列挙していってもまだ、彼女の本性について言い尽くせない部分が存在する。それは彼女の精神性。息=esprit であり、熱=geist。彼女がこれまでの人生の荒波の中で作り上げてきた、あるいは守り切ってきた、思考、情感、直観の色彩。そこに僕は一種のシンパシーを感じつつ、同時に決して自分にはない煌めきと仄暗さを見出した。暗闇の中のか細い蝋燭であり、泥に塗れた一輪の蓮。この人が歩いていく未来を、ともに見に行きたいと感じた。その先に、幸福があるのだとも。

それから、二人で逢瀬を重ねてきた。外食、ネカフェ、ニトリ、美術館、ディズニー、旅行......。時間を共に重ねていくにつれ、お互いの内面も溶け合っていくような感覚がある。これから何を見に行こう、どんな未来が待っているのだろう、気を抜いたらそんなことばかり考えてしまう。そのくらいには、貴女が好き。一度たりとも決断を悔いた事はない。これからの事なんて分からないし、もしかしたら理不尽な不幸が口を開けて待ち構えているのかもしれないけれど、どんな悲しみも笑い飛ばせるくらいの青春を、二人乗りの自転車で見に行きましょう。後ろは任せた。