祖母とこじれた仲が一向に戻る気配のない話

孝行心に溢れた午前九時の僕を迎えたのは、昨晩と変わらない祖母の怒声だった。

「あんたねぇ!老人は一日やそこらじゃ切り替えらんないのよ!!少しは考えなさい!!」

絶望感に似た悲しみに襲われた。それでも、祖母に寄り添おうと思った。祖母のお皿は洗おうとした。洗濯物は率先して外に干そうとした。しかし、反応は変わらなかった。

「自分の事だけ先にしてれば良いじゃない!」

「私の事はアンタにはお世話になりません!」

「悪いけど今一緒にいたくないのよね。良いからアッチ言っててもらえる?」

「アンタの言葉はもう信用できないのよ」


昨日以上にショッキングな言葉の数々だった。それ以来、祖母とは今日、コミュニケーションを取れていない。

家族の空間から物理的にも内容的にも追い出された俺は、色々な事を考えた。

この問題の根本には構造的な問題がある。中核にあるのは、俺と祖母、それぞれの家族観とお互いへの思いだ。

そもそも俺たち家族と祖父母が暮らすようになったのは、五年前。俺たちと父親とのどうしようもない生活が限界に達して破局を迎えた時、祖父母から手を差し伸べてくれたのが始まりだった。俺たち3人の生活では、いずれ限界が来ていたと思っている(正直、当時の俺の頭には高校を無事に卒業できるかという事しか無かった)。その点で、俺は言うまでもなく祖母に恩義を感じている。

しかし、俺と祖母の価値観は、折々にすれ違いを見せていた。

俺にとっての家族は「お互いへの肯定・リスペクトを下敷きとした、独立した個人の集まり」。もちろん世界で一番大切な人たちなのは事実だが、お互いに干渉し過ぎてはいけないと考えている。

祖母にとっての家族は「お互い【積極的に】支え合う共同体で、生活の中心」。まずは何よりも家族を優先しなくてはならないし、問題に関してはお互いで導き合わなければならない。

正直、どっちが悪いという訳ではない。俺の価値観の方が現代社会に即していると思う。しかし、これまで行われてきた経済協力や家庭労働、教育みたいな社会的な面に関していえば、僕の価値観は少し虫が良い気がしないでもないし、そういう意味では祖母の価値観に理があるのかもしれない。

お互いへの思いも、今考えればズレていた。

俺は先述したように、祖母のことを恩人だと思っているし、いずれその恩義は返さなければならないと実感している。祖母は俺にとって「第二の母」でもあった。どんなヘマをしても、最終的には受け止め肯定してくれる存在。生活の支えだった。(そういう扱いに一種の暴力性が無かったかと言われると、否定は出来ないと思う)  何より、先の記事の冒頭で述べたように、お互いフラットな関係性を築けていると思ってたし、だからこそ価値観の違いを超えて共生できていると思っていた。

でも祖母の俺への思いは、かなり重かった。もちろん、祖母-孫の関係の中で愛を注いでくれたのは確かだが、それ以上に祖母にとって俺は「教育対象」「保護対象」だった。祖母の中では、俺を父方の祖父母から「受け継いだ」という意識が強く、だからこそ、「一人前」の男にした上で、「家」を背負わせていかなければならないと自認している、らしい。だからこそ、まだ未熟者である俺は「保護」の対象。そうした自分の中の志が強すぎるせいか、俺からの意見は多分耳にしてもらえない……。                                            

そんな僕に、落伍者の典型である(僕の)父親の面影を見たのだろう。「アンタに使った金返せ」とも言われた。本心じゃないにしても、これが一番ショックだった。


以上で述べたような価値観の食い違いが、今回おそらく初めて俺と祖母の間で表面化してしまった。俺に分かっているのは、ここに書いた事までだ。これからどうなるのか、どうすべきなのか、恥ずかしながら分からない。俺に根本的な不信感を抱えていてコミュニケーションを取ってくれない人と、どうやって関係を修復すれば……。或いは無理に修復しなくても良いのかな。仲を悪くしちゃって、家庭内別居みたいにしたら悩まないで楽なのかもしれない。

とにかく、考えても分からないのなら、俺がすべきなのは、日々反省し、より善い自分である事。でも、今日くらいは、少し休ませてくれないか。