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タイ農業視察2 命のリレー


とある有機農園のお話。
とある団体とのご縁。
タイ東北部の農業関係の視察に参加した時のこと。

タイ語では「イサーン」と言われる地域。
日本で言えば、いわゆる方言と言われるイサーンの人たちが話すタイ語がある。
食文化も他とは違う。音楽はとても独特な響きでとても興味深い土地。

いっときは早期リタイアした日本人男性もちらほらと移住しており、彼らは口を揃えて
「まるで一昔前の日本の田舎みたいだよ」
という。
素朴で豊かな食文化、素朴でピュアなイサーンの人たちの笑顔。
実は私も結構好きな地域なのだ。

今回訪れた日は、タイミングがよく雌牛の発情期。
人工授精の現場に立ち会う。

その都度、地域の業者に依頼すれば300-400B(当時で約900~1200円)かかる。
大した額ではない気がするのは、日本のお財布事情で考えているからだろう。
田舎の財政事情では、何度も何頭もこの出費があるのは考えものだそうで。

ならば自分でやろうじゃないか!と講習を受けて自分で出来るようにした農主。
今では、知り合いや集落の人の元へ出向いて行うこともあるそう。
この作業も生活の足しになる現金収入源にもなる。
地域の人もどこかの業者でなく顔の知ったご近所さんにお願いするのは気がいくらが楽なのではないか。


農主はニコニコしながら振り返って私と目が合うと
「やってみる?」と言ってきた。

え、私??
こんなの2度とない経験だし、やっちゃう?
実は父方の祖父は獣医だった。
こんな場面で亡くなった祖父を思い出すとは。
じいさまのお仕事、私もここで味わうのか?!
なんて色々な思いを巡らせたのはきっと1秒にも見たない。

そうなのだ、現実を見てみると…

きっと私の腕では短い。

細いからやりやすいだろうけど、
君の腕じゃ短いかもね~
みたいなことを彼は笑いながら言う。

っていうか…ど素人にやらせようとするなよ、と思う私。
タイの人ってノリがいいって言うか、ラフっていうか、
こんなやりとりがそこここで溢れてる笑。

さて、と。
農主は滅多に人に見せることはない自分の自慢の仕事を私たちによく見えるように作業が始めた。隣では小学生くらいの彼の息子も荷物を渡したり、他の牛のケアをしたりとお手伝いをして立派に仕事をこなしていた。



腕を肛門に入れ、糞を出す。
刺激させ子宮口を開かせる。

液体窒素で冷凍されていた精子をお湯に30秒。
解凍したら受精。

サクッと入れて
牛が「も~」と一声あげたら…
セッ・レェーオ
(タイ語で ”はい、完了” の意味)

と農主は自慢げな笑顔で振り返る。

命の在り方。
地方の貴重な現金収入。
田舎の貴重な食糧源。


ここで一つ思い出話。

尊敬する人生の先輩がいる。
彼の飲食事業への姿勢は
私の食に対する考え方のベースを作った。

彼は食事を「命のリレー」と表現していた。

「動物を食べることを良いとしない思想の人も多い昨今。
だけども、
動物を食べることは、その個体が姿を変えて
新しい個体の中で新しい命となって生き続けることなんだよ。
その命を頂いて僕たちがまた人のために生きていくんだよ。」

里山を荒らして駆除対象となった鹿や猪を食肉処理をして
オシャレなレストランでジビエとして振る舞うその彼の言葉だ。

そんな話をしながら、
当時ヴィーガン(自称)だった私に
彼は猪の心臓を捌いて差し出してくれた。

「食べてごらん」

ヴィーガンだったからというだけではない、
初めて動物の心臓を見た私はギョッとした。

そんな話を聞かされて食べません、と断れやしない。
「命のリレー」なんだ。
ありがたく頂いて、猪として生きたその塊を自分の血肉に変えて
そして私が良い行いをして、誰かのために何かをして生きる。
それがその猪からリレーのバトンを受け取る事なんだ。

そう思って噛み締める獣の心臓は、
思った以上に深い香りと甘みを感じた。

それは森の草木の香りと猪が好んで食べていたドングリの甘みだったのかもしれない。

「あ、これが本当のヴィーガン食なのかもしれない」

※一説によると
ヴィーガンはラテン語の「vegetus=健全な/新鮮な」の意味に由来


話をタイ東北部に戻そう。


そんな「命のリレー」の話を思い出しながら
その牛を眺める。
同じメスという生き物として私はその牛をしばらく眺めた。

「自然」とはどこまでを指すのか。
「命」とはなんなのか。
「生きる」とは?

想うことはいっぱい。
ここまで色々な出来事や思いを文章にしたけど
この牛の姿を見て語れる言葉は今もない。

ドナドナ。



そのあとは、広い農園を散策して
無農薬どころかほったらかし自然農で実った
マナーオ(タイのレモン)やら南国のフルーツをもぎっていただいた。



そして昼下がりはイサーン特有の発酵食品と生のハーブたくさん
近くで取れたナマズなどをもち米と一緒にいただいた。




イサーンの食文化は非常にユニークで豊かだ。




ここで頂いた「命」のリレー、
私の血肉となって、
私は一体このバトンをどこの誰に渡すのだろう?

もし、目の前にお腹を空かせた僧侶が現れたら
身を捧げることはできるかもしれない。

だけど、そんな状況に出くわすことも滅多にないし…。
身を捧げるなんてウサギでもなく人間がしても、
美味しくはないだろう。
さらに私は残念なことに身が少ない。

だったらせめて日本へ帰国して
そんな経験をどこかの誰に語り
何かを感じてくれたらいいな。

そんな非力なことしかできないけれど。

あとは自分のある今のこの命で
精一杯生きることしかできないかもしれない。

最期の時にバトンを渡せるように
今もリレーを続けてる。





ちょっと関係ないけど笑、バンコクからコンケーン行きの長距離バス乗り場の様子。




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