無い洋画のあらすじ「Someone」

 音楽の都オーストリアから逃げるようにアメリカに留学してきた留学生サム(役名)は、ピアニストとして大成するにはギリギリ、という年齢(20代後半)になりつつあった。
 自身のピアノが評価されないのは歴史の浅いアメリカという土地のせいだといいながらも、実際はミュージカルヤバレエなどでクラシックの土壌は十分にあることから目をそらし、バーで飲み歩く日々が続いていた。

 それでもサムは音楽から離れられず、また評論家でなく市井の人間から称賛されることに承認欲求をいくらか満たされ、楽器のあるジャズバーをめぐっては飛び入り演奏をしていた。
 それでいながら、ジャズのような曲を「下劣」と称し客や店のリクエストに応えずクラシックの曲ばかり弾き、ジャズバーすらも転々とする羽目になる。

 そんな日々の中、とあるジャズバーでいつものように音楽を弾くが客の反応が悪い。悪いというより、まるでいつも流れる曲を聴くかのような態度に首をかしげていると、カウンターの奥から少年が現れる。
「そんなんじゃだめだぜ、誰かさん(Someone)。」
 そういった少年はピアノの前に座るとサムの弾いたクラシックを恐ろしい技術で弾き始める。
 常連が「いいぞ!」とはやし立てる中あっけにとられるサム。
 彼は続いて「あんたには、こっちの方が合ってる。」とジャズを弾く。
 サムがジャズを弾くのを拒否すると「あんたのそのお堅い頭が邪魔しているのさ」とかってに店員に頼んで強い酒を飲まされる。
 酩酊するまま、少年にケンカを売られたと感じたサムは少年が弾いていたジャズをめちゃくちゃにしてやろうと弾き始め、弾き終わった時あがったのは……割れんばかりの拍手だった。

 ちなみに映画「Someone」ではサムがだんだんジャズ演奏者として覚醒していくと同時に少年とも友情を築いていくんだけど、お互い「Someone」と「Kid(少年)」て呼ぶ。
 そんでサムがキッドにちゃんと音楽教育を受けた方が良いっていうんだけどキッドは家庭環境的に無理なんだよね、夜のジャズバーにいた時点でお察し。
 サムはジャズピアンイストとして開花しながらもどこかでクラシックピアニストになりたかったのに、みたいな気持ちもありつつそもそも才能はあるのに環境が伴ってないキッドを見ていると「咲けるところで咲こう」って思えるようになってくるし、キッドが家庭環境の問題でサムに一回別れを告げるシーン(児相的なものに引き取られるとか)でサムに「じゃあ……!誰が、俺とステージに上がるんだ!!」って叫ばれてほしい。
 そんでキッドが「……誰かさん(Someone)が一緒に上がってくれるさ!!」って泣きながら背を向けるシーンがある

 エンディングはお互いが出るステージパンフを見てキッドが「あんた、ほんとにサム(Sam)っていうの!?」ってけらけら笑ってサムが「うるさい」って小突いてサムもパンフを開こうとするんだけどキッドがそのパンフをそっと手で押さえて「自己紹介が遅くなったな、兄弟。俺の名前は……」で終わる。作中ずっと名無しのキッド役。見てた方にはキッドの名前はわからないようになってるやつ。

 次回作が仮に出てもキッドは出てこないよ、キッドはちらっと今ちゃんとしたとこで勉強頑張ってるんよって話が出るだけ。サムもキッドって呼ぶ。


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