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第12回の2:パンク黎明期、奥平イラは新宿レコードにいた

高木完『ロックとロールのあいだには、、、』
Text : Kan Takagi / Illustration : UJT

ビームスが発行する文芸カルチャー誌 IN THE CITY で好評だった連載が復活。ストリートから「輸入文化としてのロックンロール」を検証するロングエッセイ


さて、前回の続きを書く前に。

初公開以来初めて、映画『シド&ナンシー』を改めて見直した。前回の原稿で、劇中でピストルズの曲が使われていないと書いたが、演奏されていた、、、サントラに収録されていなかったことから勘違いしていたようだ。ピストルズの演奏ではなかったが、、、失礼しました!

ここから本題。

1977年の秋。自分がカッコイイ!と感じ、早速そのタッチを真似して教科書に落書きした、パンク・ロックの音が聞こえてくるような感覚のコミックを『ZOO』誌上で描いていたのが、漫画家、奥平イラ氏だった。

「僕は1977年は21でした。漫画やりだす前は新宿レコードにいたんですよ。76年ぐらいからね。その前は学校も行かずに漫画ばかり描いてた」

「漫画は『COM』だとか『ガロ』とか読んでて。白土三平からの流れを読んでてさ、ガロは僕のひと世代上だと、鈴木翁二、安部慎一、古川益三の一二三トリオがいて。ちょうど僕らの上は私小説的というか文学的というか、暗いタッチのが流行で。ノリとしては友部正人とかの中央線のフォークからの流れで、URCからレコード出してたシバさんって人がいるんだけど、シバさんも『ガロ』で漫画描いてる。一二三トリオも安部さんは九州帰っちゃうけど、古川さんはリタイアしてまんだらけを設立して大成功。鈴木さんはあがたさんとコンビ組んで『オートバイ少女』を映画化したり、漫画と音楽っていう流れって脈々とあるんだよ。泉谷さんも『COM』に投稿してたし、アメリカだとゲイリー・パンターだってそうだし」

ゲイリーの一時期のタッチがイラさんに近いと思っていた自分にとっては、我が意を得たりという気分。

「で、漫画はやろうと思ってたんだけど、『ガロ』に持ち込みしてダメで、くすぶってたんだ。でもなんか仕事しなきゃいけないから、当時は出版か音楽かどっちかやりたくて、『シティロード』に面接行ったらそれもダメで、結局新宿レコード」

僕は当時、新宿レコードはあまり行ってなかった。欲しいレコードがありそうなのはわかっていたのだが、学校が御茶ノ水にあったこともあって、御茶ノ水のレコ屋が行きやすかった。

「あそこはね、プログレのヨーロッパ系が得意分野で、そういうお客さんが多かったんだけど。それはマスターがクラシック一本槍の人だったから、その絡みもあって、ヨーロッパに強かったんだよ。けど、実はその当時の店員さんで、プログレわかる人っていなかったんだ。あの時代、普通に流行ってたのって、やっぱアメリカのウェスト・コーストだったから。若者みんなそっち行ってて、店員さんもそういう人が多かった。で、僕がわりとプログレとか好きだったから、すぐ雇ってくれて。最初の頃はプログレ担当」

新宿レコードに関しては意外だったが、店員の傾向、すごくわかる気がした。

中学の頃からブリティッシュ・ロックの流れでロックを聴いてきた自分だが、ロック・ファンはアメリカン・ロックが主流だったのか。

「やっぱりさ、当時はウェスト・コーストの方がカッコよかったんだよ、シンガー・ソングライターとか、それでみんなマニアックな方に行くじゃない、トラッドとかブルースとか。それはそれでいいんだけど。ブライアン・イーノとかフィリップ&イーノはプログレであって、そこの流れはニューウェーブに行ったよね。葡萄畑も出としてはそっちなんだけど、そうこうするうちにアオちゃん(青木和義)なんかはスパークスになる」

この辺の流れはおそらく細野(晴臣)さん、久保田真琴さん、鈴木慶一さん、皆さん同じだと思う。

「パンクを意識したのはラモーンズの1枚目が出た時。76年。変わったもんが出てきたなって思った。ヴェルヴェッツとかパティ・スミスとかのNYの流れ、ってのもあったんだけど、その頃高円寺に鳥井賀句の店があって、まだ〈トルバドール〉って名前の時。もともと鳥居賀句もジャクソン・ブラウン・ファンクラブでさ、シンガー・ソングライターも文学的だからトム・ヴァーレインとかにつながってるように思うんだ。で、その流れがあって、ジャクソン・ブラウン・バーみたいなのやりたかったんだと思う。そこには友達もいたんで、僕もよく通ってたんだよ」

後に〈ブラック・プール〉と店名を変えるこの店には、ちょうどこの頃、僕も一度だけ行ったことがある。パンク仲間が集まるロック・バーとして雑誌に紹介されていたからなのだが、しかし行ってもパンクはかかっていなくて「?」となって、「パンクいつかかるんですか?」と聞いたら「今からかけるから」と言ってかけてくれた覚えがある。

「そこで森脇美貴夫と出会うんだ。ミッキーはもともとプログレだったんだけど、ある時ヨーロッパから帰ってきて。ジャーマン・ロックを取材に行ったんだけど、とんでもない物見ちゃったみたいで、アタマツンツンにしちゃって。サングラスかけて、背も高いし、『なんだコイツ』って感じ。その前は知らないんだけど、長髪だったらしい。で、そこで友達になって。『何やってんだ』って言うから、『漫画描いてるんだ』って。『じゃあ、こういう雑誌やってるから描いてみないか』ってなるわけ」

(つづく)

奥平イラさんの漫画。雑誌『ZOO』No.13に掲載(1977年10月25日発行)




高木完
たかぎ・かん。ミュージシャン、DJ、プロデューサー、ライター。
70年代末よりFLESH、東京ブラボーなどで活躍。
80年代には藤原ヒロシとタイニー・パンクス結成、日本初のクラブ・ミュージック・レーベル&プロダクション「MAJOR FORCE」を設立。
90年代には5枚のソロ・アルバムをリリース。
2020年より『TOKYO M.A.A.D. SPIN』(J-WAVE)で火曜深夜のナビゲイターを担当している。

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