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夏の箸休め 国語の時間「速さの表現」

ある動作が、とてつもなく速いことを表す言葉には様々なものがある。
「電光石火」
「神速」
「韋駄天」
「疾風迅雷」
「一瀉千里」
「脱兎之勢」
などなど。
しかし私は、これらの言葉よりも更に説得力を持つ表現を知っている。
これは飛騨地方に住む天理教の教会長である山田二郎氏(仮名)から教えられたものだ。
山田翁は今年90歳。
この翁は、息子の友人である私を大層可愛がってくれていて、ことあるごとに昔話を聞かせてくれた。
山田翁、少年時代は大変な悪童で、左義長の時期になると村人が苦労して作った飾り付けを、ことごとく壊してまわったそうだ。

【左義長】さぎちょう
1月14日の夜または1月15日の朝に、刈り取り跡の残る田などに長い竹を3、4本組んで立て、そこにその年飾った門松や注連飾り、書き初めで書いた物を持ち寄って焼く。その火で焼いた餅(三色団子、ヤマボウシの枝に刺した団子等地域によって違いがある)を食べる。また、注連飾りなどの灰を持ち帰り自宅の周囲にまくと、その年の病を除くと言われている。また、書き初めを焼いた時に炎が高く上がると、字が上達すると言われている。道祖神の祭りとされる地域が多い。
民俗学的な見地からは、門松や注連飾りによって出迎えた歳神を、それらを焼くことによって炎と共に見送る意味があるとされる。お盆にも火を燃やす習俗があるが、こちらは先祖の霊を迎えたり、そののち送り出す民間習俗が仏教と混合したものと考えられている。
とんど(歳徳)、とんど焼き、どんど、どんど焼き、どんどん焼き、どんと焼き、さいと焼き、おんべ焼き等とも言われる。

wikipedia
左義長

大人たちが怒って追いかけてくるのが面白くて壊し回ったというから、そもそもの動機からして、二郎はかなりアホな少年だったのだろう。
しかし彼は足が速く、身のこなしも敏捷で、決して大人たちに捕まることはなかった。

その年の左義長が目前に迫ってきたある日の午後、「よーし。今年も一丁やったるでよぅ!」と意味不明な気合いを入れていた二郎のもとを、寺の住職が訪なった。

二郎は住職から懇々と左義長の由来を教えられ、それを壊すことの愚かさを諭された。
その際
「二郎、おみゃーさんのすばしっこさは、どえらいもんらしいのぉ。まるで野糞に銀蝿じゃて、皆が言っとったぞ」
と言われたという。

野糞に銀蝿

これがこの地方で言い習わされている「どえらい速さ」の比喩的表現であるらしい。
賢明な読者諸兄ならお分かりだと思うが、野糞をしたとたんに集まってくる銀蝿の速さが、尋常でないところから生まれた表現だ。
なんと説得力のある表現だろう。土と共に生きてきた民ならではの言葉である。

しかし私は、この言葉のもつある側面に気がついた。
「野糞に銀蠅」は「類は友を呼ぶ」という慣用句と同義的に使われることもあったのではないだろうか。
汚いもの、愚かなものには、それに相応するものが寄る…ほどの意味で使われていた気がしてならない。
また、「目くそ、鼻くそを笑う」と「野糞に銀蠅」にはかなりの互換性があると思われる。

いずれにしても、人から面と向かって言われたくない表現ではある。しかし説得力という点では、他の慣用句やことわざの追随を許さないだろう。

この記事を読んでしまったアナタ。不覚にも深く頷いてしまったアナタは、銀蝿なのかも知れない。
山田次郎翁。90歳。天理教の会長さんは色んなことを教えてくれるのだ。

しまい。

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