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超短編 白いパラソル (小春へのレクイエム) 【迎え鐘とお精霊さん/続編に代えて】

2022年夏PM2:00 -漁港にて-

ダシ(山から吹く風)が吹いているのだろう。波の音も聞こえず、奇跡のような静寂があたりを包んでいた。
鄙びた漁港へ続くアスファルト道路を赫奕かくやくたる真夏の太陽が照りつけている。
水揚げされた魚を運ぶ保冷車の列も絶え、あか)ら顔の漁師も手ぬぐいをかぶったおかみさんたちもいない。


一匹の黒猫が忍び足で目の前を横切ると静けさはいや増した。
静謐せいひつ。そんな言葉を思い浮かべたとたん、浜小屋の陰から白いパラソルが突然転がり出た。それは僕の目の前で止まると灼光に輝きユラユラと揺れた。
その瞬間、僕は強烈な目眩めまいをおぼえしゃがみ込んだ。


懐かしい匂いに周囲を見まわすと、
僕が幼い頃に住んだ祖父の家にいた。
開け放たれたガラス戸の先にある黒い板塀の向こうから秘やかな音が聴こえてくる。
シヤッシャッシャッ…
氷売りが使うリズミカルなノコギリの音が静寂しじまを渡っている。
間延びした金魚売りの声が聞こえ、風鈴の音がまるでかき口説くかのように静かに響く。
ガラスの器に盛られた真っ白な冷や麦の中の鮮やかなピンクや青。
ふと目をやると庭先の板塀の向こうをゆき過ぎる白いパラソルが見えた。
物狂いしそうになった僕は板塀に駈け寄って飛びつき、白いパラソルを目で追った。

かすかに見えた横顔は若くして逝った幼なじみの面影を宿しているような気がした。
行き過ぎたはずのパラソルが戻ってくる。ユラリユラリと近づいてくる。
目に見えぬ縛めに指先すら動かすことのできぬ僕の目の前を白いパラソルが通り過ぎる。
芳しい香りと微かな線香の匂いと共に、
「まるたけえびすにおしおいけ あねさんろっかくたこにしき・・・」
風鈴の音のような歌声が心の中に滑り込んできた。
そして囁くような聲が・・・。
「ウチずっと見ててんで…ホンマによう頑張ってきたねリョウちゃん」
千人の中からでも聴き分けることのできる優しく懐かしい声だった。それは決して忘れることのできぬ声だった。
何者かに縛められたままの僕は追いすがるように叫んだ。
「小春!」
声にした瞬間、僕は白日夢から目醒めていた。

白いパラソルは跡形もなく消え、そこには陽光に白く光るアスファルトだけがあった。
ダシは止み、南風まぜに変わったのだろう。静かな波の音が聞こえていた。

小春の三十三回忌が近づいてきている。
8月になったら久しぶりに行ってみよう。
小春といた、あの六道の辻へ。

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