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運動会 【三部作の2】

今日は我が子が通う小学校の運動会だった。
田舎の漁師町のことゆえ早朝から親類縁者総出で場所取りがおこなわれ、昔ながらのゴザやシートに陣取った一族郎党が、それぞれに我が血統の代表たる小学生に盛んに檄を飛ばしていた。
僕は声援を受け走る子供たちを目で追いながら、30年前のあの日を想い出していた。

その年の運動会も、僕を応援する人の声が聞こえてくることはなかった。
昼食の時間になった。座るべきゴザのない僕は教室で弁当を食べた。そこには僕の他に3人のクラスメイトがいたが、集まるわけでもなく、皆がバラバラに自分の席で食べた。
そこにいる誰もが寂しさと侘びしさを感じているのに、それを互いに悟らせまいとする意味の無い頑なさで満ちていた。
昼食が終わり午後の部が始まった。いよいよプログラムも大詰めだ。
運動会の締めくくりは、クラス対抗リレー。僕はアンカーだった。
4位でバトンを受け取った僕は、自分に送られたものではない声援の中、風を切って走った。
絶対に負けたくなかった。僕は歯を食いしばって走った。いつもよりずっと早く走れたのを今でも覚えている。
3人を抜き去り、僕は一着でゴールを駆け抜けた。
リレーメンバー全員に賞品のノートと鉛筆が配られたが、少しも嬉しくはなかった。

運動会が終わると家族と一緒に帰る友達と離れ、一人で家路についた。
「米末」という看板が掛かったお米屋さんの角を曲がると一人の老人が僕を待っていた。
隣のご隠居だった。酒飲みで、博打打ちで、女好き。子供の僕でも、老人が近所でそんな陰口を言われているのは知っていた。酒で商売をしくじったその老人を良く言う者は、町内には一人もいなかった。
でも、何故か僕にはいつも優しかった。
老人は無言で森永のキャラメルの箱を差し出した。
驚いた僕が黙っていると老人は言った。
「坊、よう走ったなぁ。ごっつ速かったのぉ」
老人の顔はいつものように怖かったが、目は笑っていた。
私の手にキャラメルを握らせ、頭を軽くたたくと老人は去っていった。
見てたんや…
嬉しかった。
キャラメルを一粒口に入れると鼻の奥がツンとなった。
キャラメルの甘さが、心の奥に閉じ込めていた寂しさを優しく包んでくれた。

あれから30年経った。あのご隠居はもういない。
僕を呼ぶ声に記憶の淵から引き戻されると、目の前で子供たちが弁当を広げていた。ご馳走に子どもたちが歓声を上げている。
ふと、この運動場のどこかで、あのご隠居が僕たちを見ているような気がした。
「坊、よかったなあ。」と言ったあの日と同じ優しい目で。  (了)

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