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箸休め 「大亮様」という呼称

今回は箸休め的な記事です。どーでもいいっちゃ、どーでもいい。ことを書きますね。
大亮様という方がいらっしゃいますね。そう真柱後継者のあの御方です。
周知の事と思いますが『みちのとも』6月号に「教祖140年祭準備会議」のメンバーが発表されていました。その筆頭には「大亮様」と書かれていました。もう随分前から慣習化されていますが、なんか気になりませんか?
『天理時報』や『みちのとも』の記事の中でも中山大亮氏は当たり前のように姓を省略し「大亮様」と表記されています布恵さんもそうですね。まあ真柱後継者とその夫人であることは既に認知されているので、それでいいのかも知れませんし、一連の文章の中で記載される場合はさほど違和感を感じません。
ただ、今回のようなメンバー発表的な場合は、やはりフルネームで記載したほうがいいんじゃないかな?と老婆心ながら思いましたね。
天皇家や皇族も公的文書に姓を省略して記載されますよね。何故なら畏き辺には、そもそも姓が無いからです。姓の無い理由としては
1.天皇が「唯一無二の存在」であるからです。日本の皇室は(諸説ありますが)ひとつの家系を連綿と受け継いできた「万世一系」だから。
2.天皇は絶対的な権力者であり、苗字や姓を授ける側の存在だったから。(古代の日本では苗字や姓を名乗れるのは、天皇から姓を賜った一部の特権階級だけ)
これらがルーツであると思われます。皇室の場合は姓を記載しないのではなく、そもそも姓が無いのです。でも大亮氏には中山という立派な姓があるわけですので、お使いにならない理由が分かりません。天皇を意識しているなどという意見も聞きますが、さすがにまさかそんな不敬な動機ではないでしょう。
「血統を継ぐ方」というだけで、リーダーとしての資質も不明な若者をシンボライズするには、いささか早計かとも思います。
下にある表記からは何となく阿諛追従の香ばしい香りが漂って来るような心持ちでございますよ。
まあ、所詮は本部の内情を知らない地方教会長の想像に過ぎないので、間違っていたらご容赦くださいませ。
現場からは以上です。

 追記 今、友達からメッセージが来て指摘されたんですが、布恵さんも「布恵様」って表記なのね。およしなさいよ。もぉ。ヽ(`Д´)ノ



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