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運命に抗う

私は『稿本天理教教祖伝逸話篇』16「子供が親のために」と題された逸話がとても好きだ。
このお話は多くの逸話の中で異彩を放っている。

桝井伊三郎の母キクが病気になり、次第に重く、危篤の容態になって来たので、伊三郎は夜の明けるのを待ちかねて、伊豆七条村を出発し、五十町の道のりを歩いてお屋敷へ帰り、教祖(おやさま)にお目通りさせて頂いて、「母親の身上の患いを、どうかお救け下さいませ。」と、お願いすると、教祖(おやさま)は、
「伊三郎さん、せっかくやけれども、身上救からんで。」と、仰せになった。
これを承って、他ならぬ教祖(おやさま)の仰せであるから、伊三郎は、「さようでございますか。」と言って、そのまま御前を引き下がって、家へかえって来た。が、家へ着いて、目の前に、病気で苦しんでいる母親の姿をみていると、心が変わって来て、「ああ、どうでも救けてもらいたいなあ。」という気持で一杯になって来た。
それで、再びお屋敷へ帰って、「どうかお願いです。ならん中を救けて頂きとうございます。」と願うと、教祖(おやさま)は、重ねて、
「伊三郎さん、気の毒やけれども、救からん。」
と、仰せになった。教祖(おやさま)に、こう仰せ頂くと、伊三郎は、「ああやむをえない。」と、その時は得心した。が、家にもどって、苦しみ悩んでいる母親の姿を見た時、子供としてジッとしていられなくなった。
又、トボトボと五十町の道のりを歩いて、お屋敷へ着いた時には、もう、夜になっていた。教祖(おやさま)はもうお寝みになった、と聞いたのに、更にお願いした。「ならん中でございましょうが、何んとか、お救け頂きとうございます。」と。すると、教祖(おやさま)は、
「救からんものを、なんでもと言うて、子供が、親のために運ぶ心、これ真実やがな。真実なら神が受け取る。」
と、」仰せ下された。
この有難いお言葉を頂戴して、キクは、救からん命を救けて頂き、八十八才まで長命させて頂いた。
天理教教祖伝逸話篇16

というものである。
このお話の中で、当時「神」もしくは極めて「神」に近い存在と認識されていたであろう教祖が二度までも「救からん」と仰っている。神様からの延命不可の宣告である。医者の言葉よりも重いものがあったと思われるが、伊三郎氏は諦めなかった。
片道約5.5Kmの道のりを歩むこと2往復半、計27.5Kmを歩き通し延命を願ったのだ。
そしてついに奇跡は起きる。 神が「もうここまで」と決めた運命に、徒手空拳で立ち向かった伊三郎の心を神は嘉納された。
成って来る理を素直に受け止めることも信仰の要諦であるが、「何がなんでも!」という誠の心をお受け取りいただけた貴重なモデルケースである。

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