『みちのとも』立教186年2月号の「持続可能な組織」を読んで感じたこと Be with 糸満シ-サー健児
『みちのとも』1月25日号に 新春インタビュー 中田善亮・表統領に聞く(上) の続編にあたる(下)が掲載されたので、その記事をもとに2022年最後のブッた斬り! 特別対談 「天理の教え」×「Be」 の第2弾を書きたかったのですが、教えちゃんが忙しそうだったので、今回は『みちのとも』2月号に掲載された「持続可能な組織」についてサクッと簡単に書きます。※文末に『みちのとも』に掲載された記事を全文掲載
一人語りも芸が無いので、「住み込み人」という名の穀潰し、糸満シーサー健児を連れてきました。ちなみに糸満は歴とした他系統の教会後継者で量産型のウチナンチューです。
【糸満】Be先生こんにちは。(^0^;)
【Be】おい糸満。おまえ真冬になに汗だくになっとんねん?沖縄生まれと違てロシアのオイミャコン村出身ちゃうか?
【糸満】ちがうさー。神さんのお下がりの泡盛飲んで、コンビニまでグミ買いに走って行ったからさー。てか、Beさんとこ、ちゃーし(なんで)御神酒が泡盛?
【Be】いらんこと言わんでええ。
それとおまえが「グミ好き」ていう情報も全然いらんしな。
ところで『みちのとも』の2月号読んだんか?
【糸満】ぬー?「いちれつ会」の寄付者芳名欄は読んださー。
【Be】はあ?どえらいマニアックなとこ読んどるなあ。違うわ。永尾教昭はんが書かはった「持続可能な組織」っちゅー文章や。
【糸満】わっさいび~ん(ごめんなさい)。それは読んでないさー。寄付者一覧と祭典役割しか読んでないさー。
【Be】もう『みちのとも』購読せんでエエから、毎月210円ウチの賽銭箱へ御供しとき。タダ酒ばっか飲みくさってからに!
しゃあないなあ、ホンマ。教えたるわ。あのな、今月号にごっつオモロイ記事があってん。
本部員で天理大学の学長の永尾はんが「きょうだいへのまなざし」-道と世界の思案-の第70回として「持続可能な組織」っちゅータイトルで書かはった文章やねんけど、読んでみてひっくり返ったで。ちびるかと思た。
なんでかっちゅーとな、
て、書かはってんで。
【糸満】あぎじゃびよー(あらまあ)。じゅんに?(本当ですか?)本部員さんが?
【Be】ホンマやで。糸満もちょっとは分かっとるみたいやな。
少なくとも現役の本部員や天理大学の学長みたいな本部の中枢にいてはる人が、天理教の組織形態について
「持続可能なだけではなく、同時に発展する道を探っていかねばならない」
みたいなことをお道の機関誌に書かはったの、今まで見たことない。異例中の異例や。組織の中枢にいてはる人が「天理教組織はこのままではアカン」て言わはってんで。
Beのおっちゃんが思うには、永尾はんは批判しとるつもりやないと思うねん。あくまでも「提言」やと思てはるわな。
内容的にはワシがずっと前からゆーてることと一緒や。でもワシみたいな一般の教会長が、公の場で「本教も、持続可能なだけではなく、同時に発展する道を探っていかねばならない」みたいな発言をしたら、速攻で「教団批判」て受け取られて無視されるか批難されるだけや。
ワシだけと違うで。TwitterとかのSNSで永尾はんと同じ主旨の発言をしてはる人は昔からよーさんいてはる。
そやけど、教団の絶対的権威を信奉する人たちからは敵視されて、「批判をするな」「成人不足や」「信仰が足らん」「不足をすな」「アホ、ボケ、カス!」とか批難されて、真っ当な信仰者とは認めてもらえへんかってん。今でもそや。
ワシらザコが言うと「批判」と取られ、同じことを永尾はんがゆーたら『みちのとも』に載るっちゅーことに釈然とせん気持ちにもなるけど、そんなケツの穴の小さいことはゆーとったらアカンわ。逆に感謝せなアカンと思てる。
続けてこんなことも言うてはるねん。
【糸満】でぇーじ!こんなこと言う本部員さんがいるんだねぇー。
でも、人的資源を最大限有効に使うって、具体的にはどーゆーことかねー?
【Be】な。画期的な発言やろ?まあ、「伝統仏教の中のある宗派は、運営にビジネス感覚を取り入れて参拝者が2倍になった」ていうくだりは例としてはどーかと思うけどな。まあええわ。
ほんで、最後のほうで一応具体的な提案もしたはるねん。
【Be】どう思う糸満?
【糸満】「弁護士とか社会福祉士とかの専門性が高い業種の資格を持ってたら活用しないともったいない」てゆーのはわかるさー。でもそんな資格持ってる人は少ないさー。エリートばかりじゃないしねー。「単純労働にも意義があるよー」みたいなことも書いて欲しかったねー。
わーみたいな「キセツ(季節労働)」で食ってる教会後継者もいるよー。
【Be】お。糸満、ちょびっとだけオコやな。おまえはキセツで知り合うた人ににをいがけして、おぢばに帰ってもうた実績があるもんな。そら気ぃ悪いわなあ。
確かに「資格を活かせ」言われても、そんなもん持ってへん後継者はザラや。悪気はないと思うねんけど、そこがちょっと選良の発想っぽおて残念やな。
部内教会がよーさんあって、信者さんも大勢いてはる教会以外は、資格が無おても当たり前のように働いてはる。後継者だけやのうて、会長自身も働かんと教会が立ちゆかんてゆーとこの方が多いねん。そやから資格があろうが無かろうが、何らかの職について働かざるを得ん。っちゅーのが現実やから、そういう人にとっては「今頃なにゆーとんねん」て話しかも知れん。
せやけど会長が働くことが「悪」のように思われてて、肩身の狭い思いをしてきた人がぎょうさんおる中で、本部員さんがこういうことをゆーてくれはったら、元気づけられた人もきっといてはる。
そうゆー意味では、やはり画期的な記事やとワシは評価しとるねん。大学の学長さんに上から目線でエライすんません、やけど。
『天理時報』1月25日号に 新春インタビュー 中田善亮・表統領に聞く(上) で「正念場」ていう言葉を使わはって、一体何を指して「正念場」てゆーてはるのか分からんかったけど、今回永尾はんが「正念場」の一つを明らかにしてくれはったと思うねんワシは。つまりは組織改革も一つの「正念場」を迎えてるてことやと思うねん。今更やけどな。
実は永尾はんの記事を「現実を知らん」とか「薄っぺらや」とかゆうて批判する人も結構いてる。ワシかてそう思た。せやけど本部中枢にいてはる人が書いたことの意味は決してちいそうないとワシは思うねん。
この前、科学と「元の理」 秋治さんへのアンサーでも書いたように、「元の理」の現代的理解が、お道の教えを成熟させる「正念場」の一つやと思う。これは信仰者、特に布教師に勇気と希望を確実に与えてくれると思うねん。それと同様に、今が組織を正す「正念場」であることを、それがたとえ観念論っぽくても教内に示してくれたエエ記事やったと思うで。どや糸満?
【糸満】じょーとー、じょーとー(good good!)
【Be】よし。分かったらええわ。この記事が元で永尾はんが本部で干されへんことを祈るばかりや。もっとも、これで干すような本部やったら、先は無いと思うけどな。
ほな糸満、島らっきょでオリオンビールでも飲もか。
よって件のごとし。ではまたいずれ。
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