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ありふれた漁港の朝の、ありふれた出来事

漁港へと続くなだらかな坂道を下ると、船だまりに並んだ漁船の間からのぞく海面が朝日を浴びて金色に輝いていた。
視線を上げると数羽のセグロカモメが舞い飛んでいる。
波を蹴立てて次々と漁船が帰って来る。船の吃水が下がっているところを見ると大漁なのだろう。今年は「キンカ」が豊漁だった。

キンカ

キンカという呼び方はこの地方独特のもので、関東の漁師は「サッパ」と呼び、中国・四国あたりでは「ママカリ」の名で親しまれている。寿司ネタの「コハダ・コノシロ」の仲間だといえば分かりやすいだろうか。
獲れたキンカはポンプによって漁船の船倉から汲み上げられ、太いホースを通って岸壁に並べられた1立米の樹脂槽に流し込まれてゆく。槽が一杯になるとフォークリフトでトラックの荷台へ積み上げられ、「納屋」と呼ばれる数件の水産加工場に運ばれ冷凍されるのだ。
そうした一連の作業の繰り返しの中で、ホースの先端や槽からこぼれ落ちるキンカがセグロカモメの朝餉だった。

漁港内のセリ場の片隅にこぢんまりとした管理事務所がある。水揚げの喧噪をよそに、事務所の前のベンチでは数人のオヤジたちが世間話に花をさかせている。彼らはそれぞれの納屋の主。つまり水産加工場の経営者たちだ。まだ7時前だと言うのに、すでにコップ酒を手にしている者もいた。
彼らに共通しているのは、赤銅色に焼けた肌と塩辛声。社長というより、やはり大将やオヤジという呼び方がピッタリくる。

「おーい!天理教の先生。キンカ持ってくか!」
ベンチに座っていた「カネサ」という屋号の水産加工場の大将から大きな声がかかった。潮をたっぷり含んだ錆びた声。染み入るようないい声だった。この大将は家が近所で同学年ということもあり、いつも何かと気にかけてくれていた。
「大将、おおきにな。そやけど今日はええわ。昨日もろたんがまだ残っとんねん」
昨日も大将から大量のキンカを貰い、信者さんたちに配って回ったところだった。
「なんや、そんな古いの捨ててまえ。獲れたてのん持ってけや」
カネサの大将はそう言って笑った。
欲しいと言えば、これでもかというほど発砲スチロールの箱に入れてくれる。「いらない」と言っても、別に気を悪くするわけでもない。「魚を持って行け」というのは彼らの挨拶のようなものなのだ。
大将に向けて軽く手を挙げ、荷捌き場の前を通り過ぎて船だまりを回り込む。そこから先は漁港を抱き込むように突堤が伸びている。コンクリートで固められた突堤は幅が7mほどもあり足場もいい。あちこちで村の老人たちがサビキ釣りの竿を出している。ほとんどが元漁師だった。
彼らにとって日の出前の釣りは、日課の散歩のようなものだ。毎日見ているが、決して魚を釣りたいわけでもなさそうだ。きっと引退してなお、常に潮風や海の気配を感じていたいのかも知れない。彼らは釣れた魚を帰る途中であちこちにお裾分けして回る。すると自宅に帰り着く頃にはクーラーボクスの中身が、お返しの缶ビールやつまみで一杯になっていたりするから、リアルわらしべ長者のようなものだ。

竿を出す老人たちの中に、中学生時代の夏休みにアルバイトをさせてもらった「伊藤海産」の先代社長がいた。そのバイトでは40度に近い炎天下の浜で魚を干し、次は氷点下30度の冷凍倉庫内での作業という、温度差70度の地獄を味わったが、大人たちから可愛がってもらった楽しい記憶しかない。

その時の指導係が若き日のこのご隠居だったのだ。
ご隠居が私に向かって、こっちに来いと手招きしている。
よく日焼けしており、痩身に派手なアロハシャツを着て若作りをしているが、もう80歳は超えたはずだ。
近づいていき、ご隠居の足元に置いてあるバケツを覗き込むと、数匹のキンカが泳いでいた。沖でキンカが大漁になるこの時期は、突堤からも簡単に釣れる。数匹の獲物はあまりにも少なすぎた。
「ご隠居はん、ボケてしもてキンカもよう釣らんようになってもうたんか?」
ご隠居は私ににチラリと視線を走らせると、無言で腰掛け代わりにしていた小ぶりのクーラーボックスを開いた。そこには大量のキンカが氷に混じってぎっしりと詰まっていた。

突堤

「にいやん(兄ちゃん)、キンカ持ってけや。こんなもん持って帰ったら若嫁が怒りよるしな」
キンカに限らず、水産加工を営む家に釣りでの獲物など基本的に不要なのだ。
「いらんのやったらなんで釣っとんねんな。殺生したらアカンがな。別宅とは別に、最近駅前の飲み屋の女将とも仲良しやて聞いたで。飲み屋なら突き出しにできるやろ。俺んとこは昨日ようけ貰たし今日はええわ。おおきにな」
ご隠居には美しい女性がひっそりと暮らす別宅なるものがあった。彼は老いてなお艶福家なのだ。
「いらんことゆうなアホ。なんじゃ、いらんのかいな…」
先代はつまらなさそうに呟くと、犬を追うように手をヒラヒラさせた。もう私に用は無いらしい。

せわしげに走りまわる小さなカニを踏まないようにして、テトラポットが積み上げられている突堤の先端まで歩いた。港の外も波はなく、静かな海が広がっていた。

波消しブロック

金平糖のような形をしたテトラポッドを伝って海面近くまで降りてみた。そこは荷捌き場から完全な死角になっており、足元から広がる海を独占したような気分だった。
透き通った水の中に小さなキンカの群れがいた。小鰺も混じっているようだ。小魚たちは反転を繰り返すたびに刃物のような煌めきを見せ、まるで水中を切り裂いているかのようだった。
しばらくぼんやりとキンカの群泳を眺めた後、突堤を引き返した。もうすぐ朝づとめの時間だ。
ご隠居はまだ竿を出していた。
目が合うと情けなそうな顔をした。
「なあ、キンカ持ってけ。酢漬けにして食え。上手いぞ」
未練がましく先代が言う脇を、首を振りながら通り過ぎると背後から声がかかった。
「にいやん、今日暇やったらうちの婆さん拝んだってくれへんか。膝が痛いゆうてんねん」
別宅はあるが、本妻にもとても優しい御人なのだ。艶福家とはそういう人を謂うのだろう。
ご隠居の奥さんには3度ほどおさづけを取り次がせてもらっていた。
「わかった。朝づとめの後で行くわ」
「頼むわ。なあ、ほんまにキンカ要らんのか?」
「いらん。小鯵が釣れたら貰うわ」
「あはは。分かった。おい、にいやん。お前散髪行けや。うっとうしいでその頭。それではモテへん」
「大きなお世話や。なあご隠居。津波が来たら真っ先に電話してきてな。居眠りしとったらアカンで」
「やかましい。はよいね」
笑顔でご隠居と別れた。
すでに太陽は獰猛な光をまき散らしはじめていた。漁港の喧騒も一段落したようだ。

セグロカモメ

朝餉を終えたセグロカモメが空高く舞っている。
管理事務所の前を通るとカネサの大将が出てくるところだった。
「先生、キンカ持ってけ」
大将は来た時と同じ声で同じことを言った。
「ええわ」
「今日は休みか?」
「うん」
「ほんなら帰ってキンカで一杯飲ったらええがな…ホンマにいらんのか?」
「ええわ。まだようけあるし」
「そうか、ほんならまたな」
と言って顔をクシャッとさせた。まるで海が笑ったかのような笑顔だった。
「うん。また頼むわ」

それにしても、やたらとキンカばかり勧められる朝だ。
突堤を振り返ると、ご隠居の竿が大きく弓なりにしなっているのが見えた。
遠目にも、サビキ仕掛けに掛かった数匹のキンカが陽光を跳ね返しキラキラと輝いているのが見える。
「いつまでやっとんねんな」
と、思わず笑ってしまった。

さて、朝づとめの後、おさづけを取り次いだら散髪に行こうかな。
何ということもない漁港の朝の、いつもの光景の中にいるいつもの人々。
でも、そのすべてが愛おしくてならない。

おしまい。

追記
ご隠居の「髪がうっとうしいから散髪に行け!」との一言に促された形で、早朝のおさづけ取り次ぎの後に散髪に行くことになる。
ところが散髪に行く直前に、はるさんのtwitterへのリプに「散髪に行く」と書くべきところを、どういう訳か「参拝に行く」と書き間違えてしまう。
結果的にその間違ったリプが、僕を突然のおぢばがえりへと駆り立てることになる。後にはるさんは「言葉は予言」だと言ったが、まさにその通りになった。
散髪を終えて急遽おぢばがえりをし、そして奇跡としか言いようのないタイミングで一番会いたかった方に会わせていただけたのだ。まさに神さんのお導きとしか言いようがなかった。
初対面の彼は、まるでカネサの大将のような実に気持ちのいい漢だった。
何故か海の香りがしたし、海が笑ったような笑顔も見せてくれた。
あなたと一緒に食べたおぢばのカレーは今までで一番美味かったよ、一憲さん。
ご隠居と、はるさんと、一憲さんに深く感謝している。

Be&一憲

writer/Be weapons officer
proofreader/N.NAGAI

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