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Beが書いたもんどす

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天理教に関してBeが思うことを書いた記事です。批判的なものが多いので、アンチ天理教と思われがちですが、「ホンマかいな?」と首を傾げたくなる「教理もどき」に辟易としている私は、ただ…
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#別席

結 おさづけと祈り

「おさづけと祈り」、「続 おさづけと祈り」に続く第3弾です。 前回、前々回と、腕や手指に障害のある方がおさづけの理を拝戴できないケースについて書いてきました。 すると、嬉しいことに盟友のIKKENさんが、本部では現状どのように対応しているかを関係者に尋ねてくださり、得た回答を僕に知らせてくれました。これは非公式なものであって、本部の回答ではないことをご承知おきください。 今回はその質問と回答を読んで思ったことについて記します。 おさづけ拝戴はゴールではない まずIKKE

天理教婦人会の『みちのだい』2022年5月号を読んで感じたこと

『みちのだい』2022年5月号に掲載された天理教婦人会第104回総会での婦人会長のあいさつを読みました。その中で歴代真柱の言葉を引用しつつ、くり返し語られたのが「生み育ての徳分をもつ女性が、後に続く者を育ててほしい」ということでした。以下に引用された言葉を記します。 いずれも「育てる」ということが「道の台」としての女性の徳分、特性であるということが、これでもかというくらい強調されています。 あたかも「女性こそがそれを担うべき者なのだ」と断定しているようで、間接的には「男の会

雑感....年祭と諭達と数値目標と別席とか

令和4年10月26日に『諭達』第4号が発布されました。 内容についてはここ何度かの年祭前に出されたものと大きく異なる部分は無く、強いて相違点をあげるなら表現の柔らかさが逆に気になった点でしょうか。「希望もありましたので、今日付けをもって、諭達を出すことにしたのであります」との言葉にも正直なところ、ちょっと拍子抜けしました。 まあ『天理教教規』第21条には とありますので、「希望もありましたので」という文言は間違いではないのでしょうが。 それはさておき、考えてみれば年祭の三年

信者とかようぼくとか教会長とか教会とか本部とか。

二代真柱が著した『おふでさき概説』に 「これ迄の先輩の歩みを習うと同時に、それが教祖の教えられた本筋に添っていないものならば、今からでも遅くはないから改めて貰いたい」 とあります。 この言葉について。天理大学おやさと研究所の辻井正和氏は と述べています。明治21年に遡って見直す(゚ロ゚;)ハッ!! 本当にそれが成されればお道は蘇るかも知れません。 教団の良心に期待するばかりです。 さて教勢が衰退する今、明治21年まで遡らずともその原因を見つめ直すことが喫緊の課題であるのは