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Beが書いたもんどす

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天理教に関してBeが思うことを書いた記事です。批判的なものが多いので、アンチ天理教と思われがちですが、「ホンマかいな?」と首を傾げたくなる「教理もどき」に辟易としている私は、ただ…
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2023年8月の記事一覧

逸話の背景「一代より二代」 

この逸話は山澤為造さんが25才の頃のお話です。 僕はこの話がとても好きなんです。 特に「神様はなあ『親にいんねんつけて子の出てくるのを神が待ち受けている』と仰っしゃりますねで。」というくだりが。 信仰に引き寄せられている私たちが、等しく神様が待ち受けてくださっていたお互いであることを教えてくださっています。なんと心強いお言葉でしょうか。 信仰初代の方であれば、親という言葉を尊属としての親ではなく、いわゆる”理の親”と置き換えて考えればいいと、私は思っています。 さて山澤為造

おさづけと祈り

今回は短い記事をリリースします。久々にお道の話です。 さて、世の中にはどれほど願っても、おさづけの理を拝戴することができない方々がいます。 仮にケースAとしましょうかね。それはこんなケースです。 ●天理教を信仰していない人。 ●教会に所属していない人。 ●9度の別席を運んで(聞いて)いない人。 まあ、当たり前っちゃ当たり前です。なにせ現在はおさづけ拝戴の必須条件である別席が、厳密に制度化されているのですから。 じゃあ、こんなケースはどうでしょう? ケースBです。 ●腕また

続 おさづけと祈り

『おさづけと祈り』の続編です。 まず断っておきます。僕はおさづけに関して、それを渡す方の正統性について論じるつもりはありません。過去に様々な角度から調べ尽くした結果、自分なりの答えを得たからです。上田ナライト様以降のさづけを渡す者の選定がは神意に基いていないが故に無効である。という見方もありますが、そこにさほど意味は無いという結論に達しております。僕の信仰の深部に根ざすものから解を得ておりますので、異議を唱えられたとしても争いようがありません。 また、別席については過去に『

結 おさづけと祈り

「おさづけと祈り」、「続 おさづけと祈り」に続く第3弾です。 前回、前々回と、腕や手指に障害のある方がおさづけの理を拝戴できないケースについて書いてきました。 すると、嬉しいことに盟友のIKKENさんが、本部では現状どのように対応しているかを関係者に尋ねてくださり、得た回答を僕に知らせてくれました。これは非公式なものであって、本部の回答ではないことをご承知おきください。 今回はその質問と回答を読んで思ったことについて記します。 おさづけ拝戴はゴールではない まずIKKE