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3/31 何者でなくても

新卒1年目が終わった。
乗り越えた、という安堵感と、もう甘やかしてもらえないな、という怠惰な気持ちが共存している。

ずっとライターになりたがっていた私は、書くこととはほぼ無縁の仕事に就いた。
いまでもこうして、仕事でなくても書くこと自体は続いているので、大学時代の知り合いにはよく「なんでライターにならなかったの?」と訊かれる。

理由はいくつかある。
いちばんは、「狙って書く」のが苦手になったこと。
読者層とか、書いた結果予想される利益とか、そういうの考えながら書くのがいやになった。
そもそも自分が、そういう狙った文章をあまり読まないことに気がついた。こういう、誰にも読まれなさそうな、なんの利にもならない文章を読み書きする方が好きだ。べつに私はそれで稼げなくてもいいや、と気づいた。

ふたつめは、覚悟が足りなかったこと。ライターになろうと思ったら、どこかの編集プロダクションやコンテンツ制作会社で、学生時代からインターンやバイトをして、長期的に経験を積む方がいい。あるいは最初からフリーランスになって実績をガリガリ残す。
私にはそのどちらもできなかった。1年休学してでもやろうとしたけど、時間と金と気持ちをすべて注ぎ込むことができなかった。

そんな理由を何度も答えているうち、ある日
「締切に殺されたくなかったんですよ」という答えが口から出てきて、驚いた。

大学生の頃は、東京の勉強会に行ったり、お金にならなくても書いたりした。
ゼミもバイトも課題もサークルも手を抜きたくなくて、睡眠時間がつねに3〜4時間になった。
そのときはずっとハイになっていて、それが気持ちよかったのかもしれない。
でも身体の方は、若さでなんとか持ちこたえていたようなものだった。
年に数回は目眩がして誰もいない廊下で倒れて動けなくなることもあった。

本職のライターになったら、講義もバイトもなくなるからそれよりマシかもしれないけれど、でも日銭を稼ぐには何倍もの締切を抱えなきゃならない。

むりだな、と思った。
もっと自分の生活を大事にしてあげたかった。

後輩や先輩や同級生がメディア系の会社に就職するのを見ても、思いのほか、この1年後悔はなかった。

いまは6時間以上眠れる。苦手だけど自炊も定期的にこなす。映画も本も前より楽しめるようになった。
何より守りたい人を守れるようになるくらい、精神的にも金銭的にも余裕ができた。

「私はこういう仕事をしています!」と声高らかに何者かを宣言できる人にはなれなかったけれど、
大人になれてよかったと思える、そんな毎日をいまは送れている。

3月31日、右も左もわからなかった東京暮らしが、手に馴染むようになった。行きつけの本屋もお気に入りの喫茶店もできた。はたから見れば夢を諦めたOLに見えるかもしれないけれど、私は私に満足している。

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