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12/31 : 光陰にかまけて

怒りも嘆きも体力を使う、平日は感情をローラーしているから、断続的に不定期の休みを与えられるとそれらの処理に困る。新卒の今年、年末の感想はそんな感じだ。

〆切のない1年だった。
正確には少しあったけど、これまでに比べれば「ない」と断言してもいいくらいの少なさだった。

中学で美術部、高校でも美術部かつ文芸部、大学にいたってはフリーペーパー編集部を2つ3つかけもって、私はどんどん〆切を抱きかかえていった。

その忙しい中で、光陰にかまけて忘れていたことを、忘れたままにしておけばよかったことを、〆切がなくなった今年ゆっくりと思い出した。

物心ついたばかりのとき、どうして呼吸は止められるのに、心臓は自分の意思で止められないんだろうと思った。呼吸を長く止めれば心臓も止まるかと思って、顔が火照るまで試していた。

実家はアパートの3階で、ベランダには縦に3つの丸い穴の装飾があった。やんちゃ盛りのとき、そこに足をかけて身を乗り出して下をのぞくのが好きだった。母に「下からひとつめの穴まではいいけど、ふたつめの穴は危ないからだめ」と言われていた。いつもこっそりふたつめの穴まで登っていた。あるとき魔が差してみっつめの穴に達したときの背徳感は、いまでも背中にぞわぞわとした感触を伴って思い出せる。

少し背が伸びて小学生になった頃。祖父宅の屋上でひとり、隣家のひさしに飛び移ろうとしていた。ひさしは幅何センチもなく、実行していたらまず助からなかったと思う。偶然祖父に咎められてやめた。

それ以降は思春期真っ只中のよくある死にたい野郎だったので、カウントはしない。

ただ昔から、物心ついたときから、死の方に引っ張られることはままあった。死にたいわけではなかったが。
それが通常の範囲内なのか異常とみなされるかは、わからないし、あまり興味はない。

病院に長くいた頃、生まれて1年や2年くらいのときだ。
同じ年、同じ日に生まれた女の子が一生車椅子で言葉も喋れず、脳の発達も云々という感じだったらしい。私はもうその子の名前や顔すら覚えてないけど、そういうタイプの罪悪感が他にもたくさん、どこかに刻み込まれているのかもしれない。
なんにも記憶にはないんだけれど。

いまでもときおり、年に3,4回、理由もないのに泣きたくなって、死んでしまったら楽じゃないかと思えるときがある。死にたい、とはちょっと違う。きっかけはあるときもないときもある。
思春期の名残だとやり過ごしてきたけれど、思えば思春期のずっと前から、すぐ近くにあった気がする。

〆切がなくなった今年、思考に空白が生まれてしまった。
天気が良くて、体調も文句なしで、衣食住にも困っていない。
人間関係はどんどん断ち切れていくけれど、それが悲しくも寂しくもなく、満ち足りている気さえする。
そんな毎日でも、ときおり概念みたいに他愛のない虚無はやってくる。

それをやり過ごすのが人生だとして、それならば元気なときに好きなものをなるべく増やして、保存して、だめになったら見返して、それでどこまでもつのかな。それともいつか、消えてなくなるんだろうか。

12月31日、年の瀬も年始めも嫌いだ。でも振り返るのはいいことだと思う。まあその中で、少々やっかいなのは、向き合ったほうがいいものばかりではないということ。
原因なんてこじつけで、対峙など無意味に思えるものもある。目を逸らし、背を向ける。できるだけ速く遠くそれから逃げる。

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