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文学フリマ感想『蝉は鳴かない』

5/6、文学フリマ東京に行った。900あまりの、プロ・アマ混合の出店者の中から自分好みの1冊を見極める、一騎打ちのような文学作品の即売会。

好きな作品の感想を、読み終わるたびにひとつずつ残そうと思う。

『蝉は鳴かない』龍翔

50首の連作短歌。出会い系アプリで人と会うことを、ここまで文学的に表現できることに驚愕した。

50首通して、感情の爆発や自意識の発露みたいなものが限りなく薄められていて読みやすい。
現実ではもっと否応なく、自我のコントロールできなさはあるのかもしれないけれど、短歌の定型に落とし込むことでかなりすっきりと削ぎ落とされているように感じる。快晴や豪雨ではない、延々と続く曇天のような50首。

抑制が効いていながら読み手をぞわつかせる不穏さが好きだ。

嘘なんかついてないよと笑ふたび片耳だけのピアスが光る

50首の連作のあとに、三者からそれぞれ評が加えられていた。私は鈍感すぎて、一読しただけでは歌の主体の立場がわからなかったので、この構成がありがたかった。

「出会い系アプリを使って男に会いに行く」主体が女だと思い込む先入観が、自分にもまだあるんだなと自覚できた。
主体の性がほんのりと明るみに出た途端、「子ども」を含む歌の重みがぐっと増す。

それだけではなく、3人の評者が3人とも、ある一首を秀逸だと述べていた。

雨の日の地下道を行く真つ直ぐにタイルの目地を傘でなぞりて

これは2人目の男に会いに行くときの歌だ。「真つ直ぐに」タイルの目地をなぞる心情を、評者はしっかりと捉えていた。確かに、自信や安心感が充分なときに、人は傘を地になぞらせたりはしない。
自分が歌を文字通りにしか受け取れていないことに気付かされた。

このような気づきや、先に述べた自覚を与えてくれたこと、そして気づきや自覚を得る前に自分の浅い読解力だけで読んでも、胸に落ちる感覚をもたらしてくれたことが、好きだなあと思った理由のひとつだ。

作者に宛てた手紙のような、田丸まひるさんの二人称の評も優しい。

誰かの信頼や体温とつながっていることは、虫が吸う蜜のようなもので、生きていく糧です。(中略)
「鳴かない蝉として生きてゐる」あなたは、どこかにいる誰かやわたしのようです。あなたを通じた、蝉のようなすべてのわたしたちの未来を祈ってしまいます。

男と出会い別れたあとに訪れるのが、虚しさだけではなかったようだ、ということが、連作の最後で明らかになる。そのことが、田丸さんの言う「未来」に目を向けさせる一因になっているのだろう。

ここでは47首目を引いて、結びにしたい。

虹色の傘をまはして何色に見えたとしても生きる覚悟を


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