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明日もう君に会えない

夢みたいな舞台だった。
踝まで水が張ってあって、役者の方はずっと歩き回っていて、水音が小さく大きくずっと聞こえていた。

幻想的な空間の中で、中絶が禁じられる、という設定だけがいやに生々しかった。

ぐーっと手を伸ばして、めいっぱい掌を広げて、十の指が特別な意味を持つ。
十月十日のカウントダウンに振り回されていく妊婦のそれぞれが波紋を広げる。

あかりの「女は受け身」という台詞が言い訳がましく聞こえる一方で、
誰にも受け止めてもらえなかった気持ちを自分ごと棄ててしまう、そうするしかなかった境遇を無視できない。
わかのあかりを探す声、仰向いて水に浸かったときの泣き声が天井を突きそうだった。
私はわかになるかもしれなかった、とちょっと思った。

妊娠したことのないなつの姉が、遮二無二なつに立ちはだかって守ろうとするのが、作中でいちばん母親らしい。
懸命過ぎて何を言っているのかわからなくなっても、とにかく一点、なつを守ると貫く意思が、親になる覚悟を決めた人そのものだと思った。

広い空をなつとさきとあかりとわかで謳歌するシーンを3人で繰り返したときの、足りないものを補おうとする声をずっと覚えておきたい。
はじめはただの青春そのものだった場面が、大人にならざるを得なくなってからは、ひどい人生をなんとか続けていくための儀式のように見えた。

ただ完全に受け身ではなくて、選択肢ははじめからなくても、そのひとつしかない道を選ぶと自分で決めた姿だった。

だけど私は抗ってほしかったと思う。
ラストシーンは理想的で、あんなに綺麗に受け止められない。
女医が妊婦全員に覚悟を求めることにも、いまはまだ全然納得できない。

でもそうやって落としどころをつけることが、流れに身を任せる、川のある土地での生き方なんだろうなと思った。


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