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虹彩・太陽をうつすもの

文学フリマで前情報ほぼなしで買った小説、案外と好みのものが多くて嬉しい。

東堂冴さんの『虹彩・太陽をうつすもの』もそのひとつ。というか、好みだなんて控えめな表現では足りない、大好きと言ってしまえる作品だった。

収められた4つの短編のどれもが、「いまは存在しないもの」の気配を湛えている。
失われたものは、すぐに消えてなくなるのではなく、しばらくは喪失感に形を変えて人の中に留まる。
不在なのに影のような存在感が消えない。
そんなことを感じた。

物語の中で人が人と離れるとき、特に死別するとき、人ひとりぶんがいなくなることを描くのは大層骨が折れる。軽すぎてはもちろんいけないし、単純に悲しい、寂しいと連ねても、大げさでわざとらしい。
きちんと人ひとりぶんの喪失の重さを、それぞれの語り手の距離感に沿って4度も表現しきっていることに感嘆してしまった。

そして、これは読み終えたいま改めて思い返しているから言えることであって、読んでいる最中はそんな俯瞰的な分析をする余裕もなく惹きこまれた。

文体が低温っぽくて、すっと入って来るのも好きな要素のひとつだ。
それでも質素な印象はなくて、品良く飾られている。

私は束縛や共依存的な人間関係が現実でも創作でも地雷で、4つの短編のうち1つはその傾向を強く感じたのだけれど、さっぱりとした文体のおかげで読むことがまったく苦痛ではなかった。

自分でも驚いた。
もうこれからは地雷を避けてしかフィクションを楽しめないと思っていた私にとって、大きな救いだった。

じつは連作となっているようで、別の作品でまた同じ登場人物に会えるらしいと、通販サイトを見ていて気づいた。
読みたい本が増えていくことを、幸せに思う。

https://sae-todo.booth.pm/

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