大市民

資本主義と家族主義と民主主義に中指立てるような作品(?)。

初めはどうなることかと思った、全然理解できそうもなかった。
でも場面を追っていくと、どうやら上の3つに対する抵抗のようなものに思えた。

身体を交換し立場が入れ替わる貧乏人と成功者、現実では家庭崩壊しきっても毎週古き良き家族を演じるサザエさん一家、実態のない「市民」に迎合し大衆的な作品をつくろうとする演出家。

名付けて欲しがる無名の「市民」たち。
名前があっても居場所がない猫たち。

終盤の銃撃戦、牢獄の会話、ミュージカル調の大団円と笑顔、やりきった顔の「市民」たち、からの荒廃を連想させるBGMで舞台は唐突に幕を閉じる。

対になる要素がいくつかあって、でもそのどれもが幸せそうには見えない。皮肉だな、と思った。

たぶんこれをつくった人はいまの日本が大嫌いなんだろう。

それでも名もなき「市民」たちは、それぞれの仕草や立ち方を有していて、歌や演技のふとした合間にそれらを垣間見せていた。

個性とは声高に主張するものではなく、集団の中に置かれても自然と残るもの、という誰かの言葉を思い出した。


文学座附属演劇研究所第57期夜間部 卒業公演 「大市民」
作 川村毅
演出 小林勝也

http://www.bungakuza.com/newinstitute/performance.html

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