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こころの灰皿 #004

私は何者なのか?  

今日はふんわりと、
最近頭の中にずっといることについて。

5月に
移住してからなんか軸のない生活をしている感が否めない。
ある意味フッ軽軸があるからここにいるんだけれど。私個人は一生自分に何らかの「足りないコンプレックス」を抱き続けている。

たぶんきっと今、というか昨年終わりからずっと、なんなら3年くらいふつふつとしてたものがぶわ〜っといきなり脱皮的なものをしている感覚ではあり、今年は更に、環境も色んな変化をして、人生の中でもかなりの色んなものを吸収しつつ、不純なものや不要なものは断捨離していく中で、覚醒していくんだと思う。

自覚してる、いるもの要らないもの以外にも、無意識下で勝手に消えていたものや、気づくとずっと存在してくれてるもの、色んな物事人が渦のように私の周りをグルグルと動いたり止まったりして、色んなことが起きている。
去年は出逢いの年で、今年は別れの年というか、必要なわかれと来るべくしてきた別れみたいなものが多い一年と感じている。

とはいえ、何があっても、私は私だもんなと、言い聞かせている。

ちゃんとしなきゃ病が出ると思う自分と、でたから逆にだらけて流れに任せれば?という自分と、なんやかんやタイミングが来ると整う面白さに塗れてもいる。本当に【縁】に恵まれている。


….って下書きを書いてからふた月もたっていた。7月くらいにかいたので。

8月は東京にいったり、人生を考える大きな喪失があったり、9月は阪神18年ぶり優勝って日にちょうど大阪でネッ友のみなさまとワイワイしたり、そのあとすぐ水俣でどっぷり田舎のマイナスイオンにまみれて、人の暖かさに触れてもうなにこれ最高〜って気分で帰ってきたばっかで、なんとも不思議な感覚。

ちなみにコレを書いている今は、水俣から帰ってきた次の日。
日常にもどった仕事中につらつらと書いています。

Twitter(あえてずっとまだこう呼ばせて)でも発信していたけれど、なんにもない田舎にぽつんと佇むと、余計なノイズがなく、自分としか会話しなくなるのですごく気持ちよくて気持ち悪い感じが交互になる。

なんだろう。ほんとにふわふわしている。
こころの灰皿はこの辺で。ちょっと書きたいテーマが浮かんだので
ソレ書いてみます。

読んでくれてありがとうございます。

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