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「神宮と甲子園の背番号65」

ルートインBCリーグ代表の村山哲二です。

2021シーズン、神宮と甲子園のヒーローになる背番号65を紹介します。

ルートインBCリーグの楽しみ方の一つが、「卒業生のNPBでの活躍」です。

2020シーズン、千葉ロッテの快進撃を牽引した主役の1人が元富山のスピードスター和田康士朗。育成入団の1年目から支配下登録を勝ち取り、日本ハムの1軍戦力としてチームの勝利に貢献した元新潟の樋口龍之介。シーズン終盤にセットアッパーとして、楽天のブルペンを支えた元石川の寺岡寛治。

紹介しきれないくらいのBC出身選手が1軍の舞台で活躍してくれました。

2021シーズン、あくまで個人的ではありますが、活躍を期待している選手2名を紹介します。

2021シーズン、神宮のヒーローになる背番号65 元福井の松本友です。

1松本

彼との出会いは2017年、現千葉ロッテのスタッフ兼ブルペン捕手として活躍している明治学院大学の先輩、中溝雄也の紹介でBCリーグにやって来ました。

1松本_2

走攻守レベルが高い選手でしたので、すぐに目につき、声をかけました。「君くらい能力の高い選手だったら社会人野球を含めていくつか進路の選択肢があったんじゃないの?」

その時、彼の返事を今でも憶えています。

「首都の2部レベルの選手は、NPBは勿論、社会人野球に進める選手は殆どいません。私もその一人でした」

2年間限定でBCに挑戦してきたの最終年、彼と片山雄哉(阪神)がリーグ戦に臨む姿に鬼気迫るものを感じていました。「この1年で指名を受けられなければ、地元福岡に帰って消防士試験を受けます」尊敬する父親の職業でした。1年目を遥かに凌ぐ優秀な成績を残した彼は、ヤクルトに育成指名を受け、第2の挑戦権を得ました。

福井 ピックアップ写真 (2)

117番の大きな背番号を背負いながら、キャンプ中に不運な怪我とも戦いながら、彼の取り組む姿勢を監督、コーチ、フロントスタッフはしっかりと見ていてくれました。

あるヤクルトのスタッフの方曰く「NPB選手は皆さんの想像を超える凄まじい練習量をこなしますが、松本友はその中でも練習をします。同時に取り組む姿勢が本当に素晴らしい。だから、コーチもスタッフも皆、友が支配下になって神宮で活躍して欲しいと思っているのです」

皆の想いを乗せて松本の背番号は二桁になりました。そして2021シーズン、開幕後に1軍に昇格した彼は、その「努力」を「結果」で応え始めました。5月18日現在、40打数13安打、0.367の打率で、貴重な代打要因として、ヤクルトの快進撃をベンチから支え続けています。これから徐々に出場機会を増やして数字は確実に上がっていくはずです。

昨年のクリスマス、かねてから交際していた女性にプロポーズをすると言っていた彼は、翌日「プロポーズ成功しました!!」と嬉しい報告をくれました。

チームの為に、自身の為に、大切な家族の為に、2021シーズンの松本友から目が離せません。



2021シーズン、甲子園のヒーローになるもう一人の背番号65 元富山の湯浅京己です。

17投手湯浅京己

彼との出会いは2017年秋、関西で行われた合同トライアウトでした。福島の名門、聖光学園出身で140キロの切れの良いストレートを投げ込んで、視察した首脳陣を唸らせた時の事を今でも鮮明に憶えています。

この後、彼にとっての「奇跡」が起きます。「運命」かも知れません。

その後に行われたルートインBCリーグのドラフト会議で彼は富山から指名を受けましたが、この時はまだ「奇跡」は起きていません。当時、富山の監督は知将、吉岡雄二さん。丁度その頃、吉岡さんの富山での指導力が評価されて、日本ハムがコーチとして彼の招聘を決めました。

優秀な指導者をNPBに送り出して次の指揮官を探していた富山の永森社長に連絡が入ります。伊藤智仁さんがヤクルトを退団したと。ネームバリューと実績は文句なしの伊藤さんにお願いして富山球団の監督就任が決まりました。

湯浅京己と伊藤智仁さんが全く縁もゆかりもない「富山」で繋がる「奇跡」が起きました。

聖光学園では、3年間、成長痛に悩まされて満足な成績が残せず、甲子園のメンバーからも外れます。プロ野球ファンならばご存知の方も多いと思いますが、伊藤智仁さんご自身も現役時代は怪我との戦いと聞いていました。

2018シーズンが始まり、富山球団を訪ねました。監督室で、1時間ほど独立リーグに来た感想を含めた様々な話をしましたが、伊藤さんの、自身の怪我や故障歴を踏まえた選手育成への想いと怪我予防への意識の強さを肌で感じました。

富山・湯浅京己1

湯浅投手の話題になった時、伊藤さんは私に説明してくれました。

「湯浅が持つポテンシャルは無限大です。頭も良く、自ら考えて行動できる能力もあります。しかし湯浅の身体はまだ成長過程の為、過度な負荷をかけたトレーニングをすると故障につながってしまうので、今は投球制限を含めたトレーニングメニューを組んで、夏頃、本格的な投球が出来れば良いと考えています。彼のような未来がある選手を絶対に故障させないように指導していきます」

この人に富山の監督をなってもらって本当に良かったと思うと共に、伊藤さんに教わる選手達は幸せだと感じました。事実、伊藤さんはこの1年かぎりで、NPB球団から呼び戻されてしまいましたから。

湯浅と伊藤監督の物語を富山のファンと共に見守りました。

GW頃だったでしょうか。はじめて先発マウンドに立った彼は、相手打線から滅多打ちをくらって5回を持たずに降板しました。投球数は60~70級程度でした。その後も、登板間隔を充分に開けて彼はマウンドで投げ続けましたが、7月くらいになると徐々に彼の成績が上がっていくのが手に取るように分かりました。

そしてシーズン終盤、久々に彼に逢うと、下半身が別人のようにがっしりとしていました。

彼の三重の実家がお肉屋さんで、定期的に届く“最高級のお肉(松坂牛!?)”と日本一美味しい富山の米と日本一美味しい富山の水で炊いたご飯を沢山食べて、彼は富山で成長しました。彼曰く、「入団した時ブカブカだったユニフォームのパンツがきつくて入らなくなり、球団お願いして創り換えてもらいました」

夏以降、徐々に湯浅の名前がNPB球団のスカウトから聞こえてくるようになりました。

そして迎えた9月、西地区のプレーオフは富山対福井の一騎打ちでした。出場する多くの選手に調査書が届いており、ドラフト候補が出場する試合とあって、多くのファンと共にNPBのスカウトがスタンドに集結しました(実際この試合に出場した4名の選手が指名を受けました)。

富山の先発マウンドを任されたのは、夏以降、成績を上げて若きエースに成長した湯浅。彼が投じた外角低めに制球された渾身のストレートは、パ・リーグスカウトが掲げたスピードガンに151キロが表示されて、スカウトの視線が鋭くなりました。

富山・湯浅京己2

その年のNPBドラフト会議で阪神から6位指名を受けて入団しましたが、彼に、更に大きな試練が待ち受けていました。ルーキーイヤーである2019年5月、彼は故障をしてしまい鳴尾浜のマウンドから姿を消します。腰の故障でした。

その後、長く苦しいリハビリが続きましたが、何回か彼と連絡を取る機会がありましたが、この事を受け入れて、彼は弱音を吐くことなく気丈に振る舞うと共に、常に前向きに取り組もうと懸命に努力を重ねる姿に涙が出ました。懸命にサポートしてくれるコンディショニングコーチを中心にした阪神のスタッフの皆様への感謝の言葉をいつも添えてくれました。

そしてつい先日、約2年という気の遠くなるようなリハビリを経て、2021年5月8日、湯浅は鳴尾浜のマウンドに立ちました。この日の最速は151キロ、圧倒的な球威で相手を圧倒してみせました。更に5月13日、彼は自己最速の153キロをマークして2回を無失点に抑えました。

彼を懸命にサポートしてくれたスタッフの方々、そして阪神ファンだけでなく、ルートインBCリーグで彼を送り出した関係者全員が、彼がマウンドに立つこの日を待っていました。お祝いのメールを送りましたが、“今まで支えてくれた全ての方々に恩返しができるように頑張ります”と力強いメッセージを頂きました。

まだ21歳の彼がこれまで受け来た多くの試練を乗り越えて来てここまでこれた事。本当にたいした選手です。

ルートインBCリーグを巣立った東西の背番号65。2021シーズン、好調をキープする両チームにとって、65番の活躍なくして上位進出は図れません。

リーグ戦で頑張っている選手達、リーグを卒業して一般社会で頑張っている元選手達と同様に応援したいと思います。


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