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書けないとき、つくれないとき。

どうにも書けなくなってきた。以前は何か感じたことをホイホイと書いていた。それは自分のためだけに、ただ、自分の感情の解像度を上げるために書いていた。

しかし、創造することに関する社会人講座を受けて、学んでから急に書けなくなった。普通、さらにクオリティの高いものを追求するのだが、その逆で、どうにも手が進まなくなった。机の前に座るのだが、何も思い浮かばない。講座で学んだことは「量をたくさん消費するのではなく、細部まで観察し深さを味わなさい」という内容だった。
それを具体的に示しながら丁寧に教えてくれた。確実にこれまでの自分にない学びを得れた。

しかし、受講後、そもそも何が創りたいのか?とか考えだしたり、何か作品を見るときも自分自身に観察力が求めすぎたり、さらに自分が創るものの細部に宿る魂みたいなものがないな、と考え始めてた。

そんな時、「自分の薬をつくる」坂口恭平を読み直した。
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昔読んだ時に自分が貼っていた付箋の箇所P233に「書けない時、創造力が枯渇しているわけではない。実は、その逆で、これまで封じ込められていたはずの「他の現実」がむくむくと大きくなってきている」という趣旨が書かれていた。

確かに。今の自分は、今までやってきたことと別の方向に舵を切りたいと思っている。エンジンは温まっている。でも具体的なイメージが沸かない。
そんな状態に今、自分はいることがわかって少し気持ちが楽になった。


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