小説『虹をつかむ人 2020』第三十章 Novel "The Rainbow Grabber 2020" Chapter 30

第三十章

 渡辺が虹の橋を渡っているのであれば、その姿を見たい,、とムロエは思った。R200804Aの座標はわかっているのだから、今から小型ヘリにムービーカメラを載せて飛ばせば間に合うか。飛ぶだけでも、現場へ急いでも、一時間はかかる。ヘリを飛ばすための各方面の調整にも、少なくとも一時間はかかるだろう。合計で二時間だから、たぶん間に合わないだろう、とムロエは思った。
 その代わりにムロエは職権を乱用して、R200804A付近にいた研究所のメンバーに、現場に向かうように指示した。現場にいち早く到着した人間からスマホで撮影した動画が送られてきた。360度の全景を漏れなく撮ってもらったが、すでに虹は消えていた(神は予想を間違えない)。虹の橋を渡る渡辺の姿は、どこにも映っていなかった。渡辺も消えていた(どこへ?)。
 厳密にいえば、渡辺の行為は職務規定違反に当たる。免職にならないが職務停止になるかもしれない。それでも、前例がないのだから(今までなぜ誰も虹を渡ろうとしなかったのだろうか)、どうにでもなりそうな気がする。どうにでもなるなら結果的に渡辺の有利になるようにすればいいし、今のところ自分には、まだその力がある、とムロエは思った。
 ムロエは渡辺の行為を責める気は少しもなかった。渡辺を推薦したのは自分だから、その推薦(任命)責任を取れと言われたら、もちろん取るつもりだ。それにしても、虹の橋を渡るなんて、何て愉快なんだろう。誰も思いもしない。渡辺は虹の橋を渡って、一体どこへ向かうつもりなのだろう。ただただ安全に渡ってもらいたい。ムロエは虹の女神に祈った。
 それでもムロエは渡辺からの謎解きを待っていた。謎を解いてくれると信じていた。渡辺は決して逃げているわけではない。そもそも何から逃げるというのか。それにしても、とムロエは執務室の窓越しに雨上りの空を見ながら思った。それにしても、虹をつかみ空に架かった虹の橋を一歩一歩渡っていく渡辺の姿を、遠くからでも見たかった。それは雲に乗ったノンちゃんを見つけるような気分かもしれない。
 その日の仕事を終えて、ムロエは自宅に帰った。一階の集合ポストを見ると、渡辺のポストには郵便物なのかダイレクトメールなのか、そういうものが差し込まれていた。渡辺はまだ帰宅していない、ということなのだろう。
 ムロエは自分の部屋で、音を消したテレビを見ながら、ソファーに沈み込み寛いでいた。今日という一日を振り返りながら、残った謎を思い出していた。渡辺が確実に解ける謎は「メモに何を書いたのか?」ということだ。この謎に関連して、渡辺に改めて検証して欲しい謎は「なぜMの父親が拝んだのか?」ということである。Mの父親が最後の瞬間に、渡辺を見て拝んだことの意味を知りたい。
 さらに最後の謎として……とムロエは考えを進めた。「Mのお腹の父親は誰なのか?」ということである。Kとの検証結果を踏まえて、渡辺なら、どのように推理するのか? この謎解きが、渡辺にできるのだろうか? そこまで考えて、ムロエは思った。今の自分にできることは、ただ信じて待つことだけだ。
 眠る前に音のしないテレビを消そうとしたら、画面に定時ニュースが映っていた。虹をつかみ、虹を渡った男のことは、どこにも報道されていなかった。隠れ蓑の効果かも知れないと、ムロエは小さく笑った。そのすぐあと、笑いが消えた。最後のニュースを見たからだ。ムロエは少し嫌な気分になった。以前、渡辺が勤務していた会社で、また誰かが逮捕されていた。容疑者の字幕には「石川」とあった。渡辺の元部下の男だ。もしも未来において逮捕される男だとわかっていたとしても、渡辺は石川を助けるために、早期退職を受け入れただろうか。受け入れたかもしれないが、どうだろう? また謎が一つ増えた。そう思いながらムロエは眠りに落ちた。

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