小説『虹をつかむ人 2020』第二十一章 Novel "The Rainbow Grabber 2020" Chapter 21

第二十一章

「彼の知り合いが、家族の留守を狙って、彼を殺しに来たとでも?」
「仮説として。彼の知り合いが尋ねてきた。彼は招き入れる。知り合いだから話をする。二階へ行く。知り合いだから油断する。背中を見せる。後ろからロープのようなもので首を絞められる」
「なぜ彼はその時、抵抗しなかったのでしょうか。なぜ知り合いは、殺さずに、あえて救急に通報したのでしょうか。殺しに来たなら、なぜ殺さなかったのでしょうか」
「彼には殺されるだけの理由があり、それに納得していたから、抵抗しなかった。知り合いは、衝動的に殺そうとしただけで、もともと殺すつもりで訪問したわけではなかったから、殺さずに通報した」
「たとえ、どのような仮説だとしても、やはり動機の問題が残ります。衝動的だとしても、殺人には、それなりの動機が必要です。彼の立場になれば、抵抗しない理由が必要となります。そのように抵抗しないのであれば、単なる殺人ではなくて、自殺幇助とか嘱託殺人とかになるのかもしれませんが。そもそも、知り合いとは誰なんでしょうか。誰か候補がいますか」
「彼が転校した事情が事情だから、新しい知り合いができたとは少し考えにくい。だとすると転校前の人間関係ということになるけれど。たとえば以前の彼の友人関係かもしれない。同級生とかクラブ活動の知り合いとか身近な人間かもしれない」
「殺人の動機は、そもそも何でしょうか」
「彼が無抵抗だったことから考えて、つまり彼自身が『自分には殺されるだけの理由がある』と納得できることは何かしら?」
「Mの自殺」
「当然。そうなるわね」
「でも妊娠させたのは彼ではないですよ」
「だとすれば、たとえば『自分はMの恋人だったのに自殺を止めることができなかった』という自責の念が、無抵抗の理由になると思う。それを前提にして考えると、殺人者は誰かしら?」
「Mと彼の、共通の知り合いですか」
「そうなるわね。で、それは誰かしら?」
「Mの遺族」
「それから、そうね、Wかも知れない」
「W?ですか。それは、ないと思います。WはMの友人でしたから動機はあるとしても、Wは彼の転校後のことは、何も知らないようでしたから」
「それを信じる理由は何?」
「イメージというか。衝動的であろうと計画的であろうと、人を殺せるタイプではありません。私がWと実際に会って話した印象ですが」
「なるほど。じゃあまあ、その可能性はおいておくとして。では、Mの遺族はどうかしら」
「病弱の母親には無理でしょう。可能であるとすれば父親です。でも父親は誰よりも早い段階で、検死解剖で娘が妊娠4カ月だったことを知ったはずです。その相手が、当時の恋人である彼では『ない』ことも、当然理解していたでしょう。なのに、それでも彼を殺しますか?」
「そこなのよ。だから計画的ではなく衝動的ではないかと思うの私は」
「そのとき、彼が何か衝動殺人のきっかけになるようなことを、したとか、言ったとか、ですか」
「わからない。実際に何があったのかは、わからない。たとえば、こんな会話があったかもしれない。『娘は妊娠していた。お前の子なのか?』『いいえ。僕の子ではありません』『じゃあ誰の子だ。言ってみろ?』『僕は知りません』『知らないわけがないだろう。娘と関係しておいて、言い逃れるのか?』『娘さんと、そういう関係はありませんでした』『この期に及んでもまだ嘘を吐くのか? 嘘を吐くな! 真実を言え!』。というような会話があったかもしれない」
「この場合、彼は本当のこと言っている可能性が高いですが、父親にはそれが全然伝わらない」
「そうなるわね。こういう会話では父親の理性はなくなりそうだし。妊娠4カ月であることが、頭でわかっていても。目の前の男が娘と関係していなくても、しているかもしれない。親として娘を貞節を信じていたが、妊娠は事実だ。4カ月だからといって、この男ではない理由にはならない。……かもしれない」
「論理がずいぶん破綻していますが」
「だからこそ殺人の引き金にはなると思う」
「彼の首をロープで絞めているとき、その殺人の途中のどこかで、父親は、ふと我に返ったのでしょうか」
「そうね。たぶん自分の殺人行為に対して、彼が何も抵抗していないことに気づいた瞬間に」
「父親は我に返って、無抵抗の意味を知る」
「その時、理性が戻り、4カ月の件を思い出す」
「彼の言葉に嘘がない、と思ったんでしょうか」
「わからない。どうかしらね。でも静かに殺されようとした彼のことを赦したのかもしれない」
「娘をなぜ助けなかったのかとか、そういう思いを超えてですか」
「だって冷静になればわかるけど、彼を殺しても娘は帰らない。彼は娘のお腹の子の親でもない。娘を助けられなかった、という意味では、父親である自分も同罪だ。そんなふうに思ったもかもしれない」

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