小説『虹をつかむ人 2020』第二十三章 Novel "The Rainbow Grabber 2020" Chapter 23

第二十三章

「Mの遺族のその後は、母親は病死であり、父親は自殺で、間違いありませんか?」
「Mの母親は病死で間違いないわ。本当は、それもできることなら隠しておきたかった。狭い町だもの噂は伝わる。『ほら昔、屋上から飛び降りた高校生の女の子の、お母さん。亡くなったみたいよ』『やっぱり自殺?』『病気だったみたい』『精神的な?』『よくわからないけど』。そんな感じで噂が広がったのよ」
「死者に鞭打つ感じ、というか。世間体を気にする母親にとっては、亡くなってもなお、そんなことが噂になっては、たまらないでしょうね」
「確かに。だから隠せるものならそうしたかった。本人に聞こえないことが救いだったけど。私は葬儀にも出た。残された父親は憔悴しきっていた。亡霊みたいだったわ」
「何か話をしましたか」
「特に何も。短い挨拶を交わしたくらいで。私が誰で、何者なのかも、わかっていなかったかもしれない。墓を守ることが自分の仕事であり、これからの生きがいだ、と言っていたわ」
「Mと、Mの母親が眠る墓ですね」
「そう。何度目かの墓参りの帰りに、帰りに自分が乗るはずだった列車に、衝動的に飛び込むまでは、言葉通りに墓を守ったわ。あなたは、その件について何か知っていることがある? あなたの顔には『ある』と書いてあるようだけれど」
「それは、あるにはありますが……。でも、その前に、母親の病名は何ですか。やはり噂通り、精神的なものですか。病死に疑問の余地なしですか」
「余地なし。詳しくはわからないけれど、精神的なものも確かにあるでしょうね。もともと病弱だったみたいだし。最終的には、担当医に聞いたところでは、多臓器不全。もっと平たく言えば、老衰」
「老衰? それほどの歳ではなかったはずですが」
「一気に歳を取ったんだと思う。あんな地獄を見せられたら、無理もない」
「無礼な言い方で、死者を冒涜するかもしれませんが……」
「何?」
「よくそこまで生きたな、と。よく自殺しなかったな、と」
「それも世間体なのか、飛び降りた娘への母からのメッセージなのか、わからないけれど。そういう意味では、たぶん強すぎた人なのかもしれない」
「だからつまり、Mは母親に何も相談できなかったわけですか」
「たぶんね。妊娠のことを母親に相談できていたら、ずいぶん、Mだけでなく、みんなの人生も、母親自身も含めて、変わったかもしれない」
「母親は自分を責めたでしょうね。自分がそういう、何でも相談しやすいような母親であればよかったのに、と」
「たぶんね。母親は娘のあとを追って死にたかったのかもしれない。死ねないけれど」
「生きることと、死ぬことは、どちらがより、勇気がいることなのでしょうか?」
「その答えは、私にはわからない」
「私にもわからないのですが……。あの、一つ、個人的なことを聞いてもよろしいですか?」
「二つでもいいけど。どうぞ」
「なぜ、この一連の自殺、いえ、事故にこだわるのですか?」
「こだわっているのは、あなたでしょ? W、だったかしら、その部下であり友人であるWを助けたいと、わざわざここまでやって来たあなたの方が、わたしよりも、この古い事故にこだわっているのだと思うけれど?」
「私はまさに、その通りです。それはそれとして、それでも元記者として、古い事故をずっと検証し続けるのは、何か個人的なこだわりがあるように思いますが。そもそも最初に、私に一切何も語らずに、私を門前払いにしてもよかったはずです。冒頭でご自身がおっしゃっていたように、人脈もコネも、圧力も通じないわけですから」
「それに答える前に、あなたは、たとえば『死ぬ気でやれば何でもできる』と言われたら、どんなふうに感じるかしら?」
「そうですね………。率直に言って『無茶言うな』でしょうか。まあ、言った相手との関係性にもよるでしょうが」
「私の息子は死んだわ」
「えっ」
「母親から『死ぬ気でやれば何でもできる』と言われて死んだの。バイクで。『死ぬ気でやれば〈死ぬこと〉でもできる』ことを証明してしまった」
「事故ですか。つまり交通、事故ですか」
「そういうことになっている。快晴の天気で、交通量が少なくて、見通しの良い一般道で、スピードの出し過ぎで、運転操作を誤って、カーブを曲がり切れなかった。でも曲がるつもりなんてあったのか? そもそもブレーキ痕はなかった、ブレーキは壊れていなかった、前日に母親と口論したことは母親以外誰も知らない。年頃の息子は何か悩んでいたらしい。けれど母親にうまく伝えられない。子育てに厳しい母親は、それを受け止めてあげることができない。そんなときは父親の出番なのだろう。けれど離婚していて、息子のそばにはいない。口論になって母親が言うの、言い合いの最後に『死ぬ気でやれば何でもできる』って。それは息子が聞いた母親の、本当に最後の言葉になった。早朝バイクで死んだから。私はもちろん単純な交通、事故だとは思ったことはないわ。一度も」
「だから、こだわる?」
「この件に限らず、ほとんどすべての自殺が、私には、ひっかかる。それが青少年であればなおさら。息子が死んだ時期はMより10年以上も前だったけれど、死んだ歳は同じくらいだったわ。だからね、Mの遺族と私は同類なのよ。だから、とても他人とは思えないの。以上で、あなたの質問に答えたことになるかしら?」
「なります。充分です。ありがとうございました。それから嫌なことを語っていただいて、申し訳ありませんでした」
「別にいいのよ。私にとっては、そういうことのすべては、結局、自業自得だから。それよりも、Mの父親の最期に関して知っていることを、あなたの真実を、仮説があっても構わないから、私に聞かせてくれるかしら?」

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