小説『虹をつかむ人 2020』第九章 Novel "The Rainbow Grabber 2020" Chapter 9

第九章

 私はその日の朝、メールで虹の発生予報を受け取った。いつものように届いたメールには、24時間後に虹が発生する場所の座標が記されていた。研究所から貸与されている3Dデジタルマップで、その座標の位置を確認した。座標の数字を所定の空欄に入力するだけで、虹の位置がその姿と共に立ち上がってくる。珍しく私は座標数字の打ち込みを何度もミスした。
「ん? 合っている? いや。そんなはずはない。もう一度、やり直し」
 何度やっても同じだった。何度見直しても私の入力は正しい。予報官が示した座標に間違いがあるとは思えない。もちろん予報そのものは担当官によっては外れることもあるが、だからこそ誤った座標数字をメールで送るようなことはしないはずだ。仮にそうだとしても、新しい数字を再度メールで送れば済む話だ。だとすればメールで送られた数字も、私が入力した数字も正しいことになる。
 あなたは海の上に架かる虹の橋を見たことがあるだろうか。
 座標は島影も見えない大海原の、たった2点を指していた。2点とは虹の橋の両端である。予報によれば24時間後、虹は海の上で発生するという。もちろん海の上にも雨が降る。そして雨はいつか上がることだろう。そのとき日が照れば虹もできるはずだ。そのことは理屈ではわかっているし、頭の中でイメージもできる。しかし実際には海上の虹は一度も見たことがなかった。あなたが豪華客船に乗り慣れている人だったり、日常的に海の上を飛行機で移動するような人だったなら、何度も見たことがあるかもしれない。たとえば船長や機長のような人ならば。
 虹発生の4時間前、夜明け前、私たちチームの乗った船は港を離れた。司令官も今回はリモートではなく乗船している。珍しく私のペアの捕獲師も乗船していた。さらに捕獲師一人につきサポートが一人付いた。皆男性で、年代はバラバラだった。同じようなジャケットを着こんだ船長とクルーは比較的若いメンバーだった。彼らは研究所に秘密厳守で雇われたのだろう。
 現場まで到着する間に、司令官がブリーフィングを実施した。
 虹そのものの大きさは、標準タイプで、端から端まで3キロほどと推定された。ただし発生地点は海上である。虹の中心に到着したら、母船から小型ボートを二梃降ろす。それぞれの小型船に捕獲師と操縦役のサポーターが乗り、虹の両端に向かう。あとはいつもの地上の手順で捕獲する。捕獲完了後は母船に帰還し、そのタイミングでデリバリー用の高速船が横付けされるので、捕獲した虹を引き渡す。高速船はそのまま最寄りの港に向かう。そういう手筈だった。司令官によれば「海上での捕獲は新しい試みであり、これを一つのケーススタディーとしたい」とのことだった。上層部としては(地球温暖化や海水温度上昇や、云々を踏まえて)、今後ますます海上での捕獲数を増加させたいと計画しており、今回の成功事例を今後の標準海上捕獲方法にするらしい(この時点では、まだトライすらしていないが)。
 海上の虹は何だかよくできた3Dのように見えた。実際に見ればわかるが、都会や山間に比べて、海上では比較対象物が皆無だ。島影も見えない。母船は波間に見えるかどうか。比較できるのは、人間二人(捕獲師とサポーター)と小型ボートだけ。それすらも非現実的に思えるから不思議だ。
 捕獲作業をしている間ずっと、違う星の上で行われている秘密の祭祀を隠し撮りしている(されている)、それを見ている(見られている)感覚だった。揺れる小型ボートの足場での捕獲作業は困難を極めた。私は何度も切り損ねて、切り口もいつもよりは美しくなかった。そのことは私のプライドをやや傷つけたかもしれない(培養に影響が出ないかと心配したが、後日送られてきたメールによれば、特に問題はなかったとのこと。それを知って安心した)。母船に帰還したとき「きっと無重力での船外活動は、こういう感じなんだろうな」と、私とペアの捕獲師は語り合い、労をねぎらった。そういう語らいも珍しいことだった。
 海上での虹捕獲の実績、それが研究所の最初の実績であったこともあり、私は上級の捕獲師に昇級した。望んだわけではないけれど、私の地位と年俸は少しずつ上がっていった。捕獲師としてのスキルとポジションは上がったが、虹に対する不思議な(畏怖のような)感覚は相変わらずだった。

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