小説『虹をつかむ人』第九章   Novel "The Rainbow Grabber" Chapter 9

第九章

 ムロエさん。ムロエさんが今夜のことも含めて、どうやって私の過去を調べたのか。少し不思議です。怖いとか、嫌だとか、プライバシーの侵害だとか、危険だとか、そういうふうには全然思っていません。ただ、不思議なだけです。
 プライバシーや個人情報は、確かに保護されるものです。興味本位で調べられるのは不本意だし、ましてや悪用されるようでは誰もが大変困ります。
 しかし一方で、実はそういうデータはどこかで一元的に管理されていて、しかるべき有力者なら自由に閲覧できるとしても、特に驚きません。そういうシステムの上で私達の暮らしは成り立っていて、好むと好まざるとに関わらず、そういう時代のそういう国に生きているわけですから。
 ときどき情報の保護や公開について、システムのトップに対して、果敢に戦いを挑む人がいます。その戦いには意味がない、とは思いませんが、勝つ確率の低いものであり、仮に勝ったように見えても、本当は負けているのに気がつかないのだけなのかもしれません。私は、そんな世の中を歓迎するわけではありませんが、そんな世の中をつくったのは誰かと考えたとき、結局それは私達なのです。私達に何ができるのでしょうか。何ができないのでしょうか。私は諦めている? そうかもしれません。胴元が博打で一番儲かるというシステムに似ているかもしれません。
 そういうシステムの中に、研究所は含まれているのだと推測します。だから、私を推薦しようとしたら、私のデータをチェックするのは当たり前だともいえます。私はその行為を大歓迎するわけではありませんが、不快だとも思いません。ただ悪用しないようにお願いするだけです。

 さて、前置きが長くなってしまいましたね。
 それと言うのも、ムロエさんは私がこれから語ろうとする話を、すでに知っているのではないかと思っているからです。それについて答えなくても構いません。知っているのにあえて私に言わないのは、それを私に語らせることに意味があると、ムロエさん、またはムロエさんの上司が判断しているのかもしれません。本当のところは、私にはよくわかりません。私の考えすぎかもしれません。知っていても知らない振りでお願いします。私としては知らないという前提で語らせてもらいます。その方が話しやすいからです。
 私は意図的に事実を捻じ曲げたり、嘘を交えたりはしません。ただ昔の話なので記憶違いはあるかもしれません。それについては最初にお詫びしておきます。

 私は告白します。
 私は人を殺したことがあります。

 私には小・中学校から仲の良い女友達がいました。仮に、Mとしましょうか。同じ高校に進学してからも、友達付き合いは続きました。といってもMとは恋人同士というわけではありません。私には付き合っている特定の女の子はいませんでしたが、Mには恋人がいたからです。
 Mの恋人は一つ年上の先輩でした。私と同じ陸上部に所属するハードラー(ハードル選手)で、目立った成績は残していなかったはずです。そういう意味では、私のハイジャンプも同じようなものでしたが。ハードラーに対する私の印象は良いものでした。信用できそうな人でした。他の先輩のような高圧的なところもありません。種目を越えて、後輩達の面倒見が良くて、次期部長候補に挙げられていました。口数は少ないですが、誠実な人柄で、どんなときも笑顔でした。きっと私だけでなく、他の部員達も私と同じように感じていたはずです。だからこそ実績があれば文句なし、というわけです。
 ある梅雨の晴れ間に、Mから屋上に呼び出されました。私達はまだ高校一年生でした。
「私、妊娠したの。どうすればいい?」
 そこには躊躇も前置きも仄めかしも一切ありませんでした。
 どうすればいい? そんなことは、まだ女の人を知らない私に、わかるわけがありません。ただ、妊娠は相手のあることですから、私は冷静な振りをして答えました。今思えば、それは少し冷たく響いたかもしれません。
「お腹の子供の父親は誰? 僕じゃなくて、その男に、相談した方がいいと思うけど」
「それは言えない。誰にも相談できない」
 Mの言う「言えない」という言葉に違和感を覚えました。子供の父親はハードラーです。それはMが言わなくてもわかっています。だから私はこんなふうに、とても無責任にアドバイスしたはずです。
「僕じゃなくて、先輩(ハードラー)に相談すべきだよ。先輩の問題でもあるわけだから」
 私の忠告が響いたのか、堪え切れずにMは、声を殺して、ぽろぽろと泣き出してしまいました。私はMの涙を見ないように空を見ました。
 屋上から見える空は、そろそろ赤くなり始めていました。もうすぐ陽が沈んでいく。早く練習に戻らなければ。大した選手でもないのに…。私はあと何本飛べるか、それだけを考えました。私は冷酷な友達でした。友達としても、大したことがなかったわけです。
 そのときの私は、Mの隣で、ずっと黙って座っているべきでした。そしてMが帰ると言うのなら、家まで送っていくべきだったのです。口先だけの答えなどいらなかったのです。ただ、黙ってそばにいるだけでよかったのに。そうしてあげるだけでMの人生はずいぶん変わっていたでしょう。
 しかし、私はそうしませんでした。できなかったといった方が正しいかもしれません。そのとき私は、何かに、誰かに、怒っていたからです。
「僕から先輩に話してみようか?」
「それは絶対にやめて。お願いだから。自分で、何とか、するから。ごめんね。変なこと言って。部活、頑張って。じゃあ、さよなら」
 Mは涙を拭って、一人で帰っていきました。そして翌朝の早い時間に、その屋上から飛び降りました。即死でした。Mは本当に「自分で、何とか」したのです。
 その朝の私の気持ちは誰にも想像できないでしょう。相談されて、結局、私には何もできませんでした。それは私が無力だったからです。でも、しかし、無力な私でも、唯一、飛び降りることはできたはずです。ああ、一緒に飛び降りればよかった……。そんなふうに悔やみました。
 後悔すると同時に、ハードラーに対して底の見えないほどの暗い怒りを感じました。恨みと言い換えてもいいかもしれません。Mは妊娠さえしなければ、自殺することはなかったのですから。しかしその怒りをハードラーにぶつけることはできません。「それは絶対にやめて。お願いだから」という声が耳に響いていたからです。それでも私はハードラーに対して、筋違いかもしれませんが、復讐心を抱くようになりました。
 その朝、救急車が来て、パトカーが来て、テレビ局やマスコミが正門の前に集まりました(Mの死は、ローカルニュースで流されました。そのあとで週刊誌にも書かれたようでした)。その日の昼休みに、全校集会が開かれ、校長が沈痛な面持ちで何かを語りました。内容は全く覚えていません。きっとすぐに忘れるような空っぽな話だったのでしょう。
 生徒たちの間では自殺の原因が色々と囁かれましたが、「妊娠」という言葉はどこからも聞こえてきませんでした。きっと誰も知らなかった、ということなのでしょう。誰かが知っていたとしても、私のように口をつぐんでいたのかもしれません。
 丁度一カ月後、ハードラーが転校しました。最初その事実を聞いたとき「逃げたな」と腹が立ちました。
 事情通の陸上部の先輩によれば、何と、ハードラーは自宅で首を吊ったそうです。結局、自殺は未遂に終わります。命に別状はなかったようですが、脳に障害が残ったそうです。退学して、どこかの施設に入ったということでした。これらのことが公表されなかったのは、ハードラーの父親が地元の有力者だったから、と事情通は締めくくりました。
 その自殺未遂を聞いても、私は同情するどころか「首を吊るくらいなら一緒に飛べばよかったんだ」と突き放していました。そのあと私の復讐心は、中途半端に宙に浮くことになります。
 いつも死者は忘れられる運命にありますが、若いときなら、なおさらでしょう。Mの死は、残酷なくらい素早く忘れられました。新しい年を迎える頃には、遺族以外で覚えているのは、きっと私くらいだったと思います。
 Mが飛び降りてから一年が過ぎる頃、ある週刊誌に「飛び降りた恋人を追って首吊り!?」という記事を見つけました。偶然見つけた小さな記事でしたが、そこにはMとハードラーのことが書かれていました。もちろん実名や地名や、それぞれの境遇などは、巧妙に隠されていましたし、そもそもハードラーの首吊りは公表されていませんから、一年も前のMの自殺と関連させた読者はいなかったと思います。私以外には。
 私が気になったのは、その記事に書かれていた「検死解剖の結果、妊娠四カ月だった」という部分です。最初は「やはり妊娠していたのか」と確認しただけでした。でもなぜか、そこに小さな引っかかりがありました。何度も繰り返し読むうちに、私は自分が何に引っかかっていたのかわかりました。それは「四カ月」です。
 もしそれが事実なら、ハードラーがMのお腹の子供の父親ではあり得ません。Mは六月に飛び降りました。二人はMの入学以前には知り合えません。Mの入学以後、二人に肉体関係があったとしても、妊娠四カ月では計算が合わないのです。そして私は「それは絶対にやめて。お願いだから」という意味に気づきました。ハードラーに言えるわけがないのです。最も知られたくない相手に相談などできません。なぜならハードラーが子供の父親ではないからです。宙に浮いたままの私の復讐心は、ついに相手すら失いました。
 そこで私はハードラーの首吊りの意味を改めて考え直しました。
 それは単純な後追い自殺ではないかもしれない。ハードラーはきっと何らかの方法(有力者である父親のコネクションかもしれません)で、Mの自殺の詳細を手に入れたのでしょう。あとに残された恋人としてハードラーは、Mの自殺の原因を探していたのだと思います。その過程で検死解剖の結果も知ってしまったのかもしれません。
 仮に二人に肉体関係があったとしたら、計算が合わないことに気がついたでしょう。もしも肉体関係がなかったとしたら……。ここまで考えて、私は二人に肉体関係が、なかったのだと思い至ります。そう、なかったのです、きっと。だから、途方もない絶望感が津波のように襲いかかり、誠実な心の持ち主であるハードラーを引きちぎり、死へと追い詰めたのです。死にたくなかったとしても、生きていく力が、もう残っていなかったのかもしれません。それは、Mの死と通じるものがあるような感じがしました。それはとても嫌な感じで、一片の救いもありません。
 では一体、Mのお腹の子供の父親は誰なのだろう、という疑問が残りました。妊娠四カ月だったことから逆算すると、相手の男とは中学生の頃に関係があったことになります。中学生? 私は自分の記憶を辿りましたが、Mが特定の男子と付き合っていたという事実はなかったと思います。私に隠れて付き合っていたかもしれませんが、その可能性は少ないと思いますし、そもそも隠す必要はなかったでしょう。それでは、隠さなければならないような相手とは、誰でしょうか。
 どちらにしても家と学校を往復するような中学生です。今と違って、携帯電話もスマホも出会い系サイトも存在しなかった時代に、親や友達に隠れて誰かと付き合うことは難しかったでしょう。
 考えても考えても、思考は同じところをグルグルと回り続け、私はMの相手を見つけることができずに、高校を卒業しました。Mの家族(といってもMは一人っ子でしたから残された両親だけですが)は、私が卒業する年の春に、どこかへ引っ越していきました。父親の仕事の関係で、というのが引っ越しの理由のようでした。別れの挨拶も、私たち家族には、特に何もありませんでした。
 Mの両親が近所からいなくなってしまうと、Mの存在も、Mが自殺したという事実も、Mと過ごした思い出も、音もなく消えていくような気がしました。膨らんでいたはずの風船が知らない間にしぼんでいく感じでしょうか。
私は大学に入って、親元を離れて、都会で一人暮らしを始めました。
 私のアパートは高校の近くにありました。ときどき登下校の女子高生とすれ違うことがありました。そんなときは自然にMのことを思い出しました。教育実習で(特に教師を目指したわけではありませんでしたが、資格を取っておいても損はないだろうと思っていました)母校の高校で模擬授業をしたときも、やはりMのことを思い出しました。
 Mのような年頃の女生徒を前にしたとき、彼女たちが誰一人死なずに生き続けてくれることを心底祈りました。そしてなぜMは死ななければならなかったのかを改めて考えさせられました。考えてみても結局のところ答えは見つからず、私の心の奥で、くすぶり続ける復讐心を確認しただけでした。
 大学を卒業して、今の会社に入りました。
 最初は地方支社の勤務でした。三年ほど地方で暮らしました。仕事にも慣れて、「ここで一生暮らすのも悪くないかも」と考えるようになった頃、異動の辞令が出ました。先輩から「会社とはそういうものだ」と言われていましたから、特に残念だとは思いませんでした。ただ、もうすぐこの町を離れるなら、最後にゆっくり散歩でもしておこうと考えました。
 辞令が出た次の日、有給休暇を取って朝から町を散策していると、見事な紫陽花が咲いている場所を見つけました。公園か、広場か、そういう場所だろうと思って入っていくと、墓石が見えてきました。そこは寺院でした。どうやら私が入ってきたのは寺院の裏口のようです。ぼんやりと辺りを眺めていると、墓石と墓石の間を一人の男の人が歩いていました。誰かが誰かの墓参りをしているようです。
 それは六月の墓地の光景でした。
 私はMのことを思いました。Mの眠る墓を知っていたら、お参りできるのに。そのとき私の心に少し変化がありました。誰かに復讐するよりも、Mを悼み続け、弔い続ける方がMのためになるような気がしました。
 そもそも私の考える復讐とは何でしょうか。相手を見つけ出して、その相手を殺すのでしょうか。どんな方法で、一体誰を殺すというのでしょうか。相手も特定できていないというのに。そもそも私にそれができたとして、それでMが喜ぶのでしょうか。
 墓地を出て、大きな橋を渡り、海岸の方まで足を延ばしました。夕日が海に沈んでいくところでした。仕事中は、ここまで来ることはありません。絵葉書のようでしたが、じんわりと感動したことを覚えています。この町を離れる前に、美しい夕焼けを見ることができて本当に嬉しかったのです。
 夕日を見つめていて思い出すのは、やはりMのことでした。最後にMと話したときも、確か夕焼けだったはずです。その日、Mを見送ったあと、私はハイジャンプの練習に戻ったのかどうか。それを思い出そうとしましたが、思い出すことはできませんでした。
 まだ夕日が残っているうちに、私は逆のルートを辿り、海岸から町に戻りました。戻る途中、また墓地の前を通りましたが、先ほどの男の人は見当たりませんでした。駅前まで戻り、私は行き付けの炉端屋に入りました。この町で働き始めて、すぐに通うようになった店です。独身の私は、大抵、夕食をその店で済ませていました。
 まだ夜が早いせいか、店内は比較的空いていました。私は店主に異動の報告と、これまでの感謝を伝えました。一回りも年の離れた店主は、「それは栄転だね」と自分のことのように喜んでくれました。とっておきの地酒を持ってきて、二人で何度も乾杯をしました。
 それでも最後はしんみりとなるものです。「渡辺さん、怒らずに、聞き流してくれないか」と前置きして、こんな忠告をしてくれました。
「それはまあ、渡辺さんにとっては栄転だろう。けれど、何と言っていいのか、うまく言えないけれど、それが本当に喜ぶべきことなのか、俺には、よくわからないな。渡辺さんは、こういう町の方が合っていると思うよ。気を悪くしないでほしいんだけれど……。小さくて、寂しくて、優しい町の方が似合うと思うよ。人には、その人にあった仕事があるように、住む町もあるような気がする。うまく言えないけれど。昔々俺も、サラリーマンだった頃、いや俺の話なんかどうでもいいか……。でも勤め人だから上の命令には逆らえないか……。体に気を付けて」


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