小説『虹をつかむ人 2020』第十五章 Novel "The Rainbow Grabber 2020" Chapter 15

第十五章

 元妻からの短い「兆し」のような電話から、二週間後のことだった。
 私は、三日ぶりに、出張から自宅のマンションに帰ってきた。虹捕獲師にも出張はある。時々、他の都道府県に出かけて虹を捕まえる。地元で捕まえるのと基本的には同じだが、地域性というものはやはり存在するし、地形や風土が違えば、虹の発生や虹そのものも微妙に違う。光学的な虹としては同じだとしても、庭で子供がホースで遊んだついでに「見て見て、虹ができたよ」と叫びながら発生した虹とは、やはり違うようだ。とりあえず私は、特に大きなミスもなく任務を完了して帰ってくることができた。
 いつもならマンションのエレベーターの扉が開くと、左の奥に、私の部屋のドアが見える。しかし今日はドアではなくて、その前に立つ女性が見えた。それが私とムロエさんとの出会いだった。その静かな出会いが、私を虹捕獲師に誘い、私という人間の何かを変えた。
 その夜、それが再現されていた。唐突に、それはまるで神の恩寵のように。私はその事実を、一瞬、幻覚かと思った。強すぎる願望が脳に異様な電圧をかけて、幻を見させているような。
 だから私は気を静めるために、瞳を閉じて、ゆっくりと開いた。左の奥に、私の部屋のドアの前に立つ女性、ムロエさんがいた。あらゆる受付女性の雛型のようなムロエさんが、そこに立っていた。
「こんばんは。ムロエさん」と私はその背中に挨拶した。ムロエさんは振り返って小さく笑った。大丈夫という意味に私には映った。
「こんばんは。渡辺さん。上級虹捕獲師として、日々頑張っていらっしゃるようで、私も、とても嬉しいです」
 少なくとも私には積もる話があった。ムロエさんがここにいるということは、ムロエさんにも話すべきことがあるのだろう。あの夜以来、初めてムロエさんが私の部屋に戻ってきた。
 私はムロエさんにビールを勧めたが、リクエストはコーヒーだった。「以前、飲んでおいしかったもので」と言ったけれど、私は覚えていない。変哲のないただのインスタントコーヒーを、キッチンのテーブルで差し向いに飲んだ。一口飲んでから、おもむろにムロエさんが話し始めた。
「ふう。……長い間、ご無沙汰していて、申し訳ありませんでした。いろいろと調べたいことがあったものですから」
「その調べ物は、私の、あの夜の告白に関わるものですよね」と私は確認しながら、それ以外に何があると言うのだろうと自問自答した。ムロエさんはそれには答えず、目を伏せて、またコーヒーを一口飲んだ。
「渡辺さんの故郷は、とても良いところですね。山も海も川もあって。高校も立派でした。あのころからずいぶん時間が経っていますから、学校でも町でも、当時を知る人は少なくなっています。知っていても、わざわざ話す人はいません。図書館で古い新聞を調べてみましたが、当たり前のことしかわかりません。
 でもまあ、そういうことは想定内でしたから、研究所のしかるべき人脈を使って、地元の新聞社を訪問しました。さすがに門前払いということはありませんでしたが、当時の記者の皆さんは既に退職しています。それでも探していただくと、一人だけいらっしゃいました。でも他の町に移られていたので、その人を追いかけました」
 私は自分が卒業した高校、川辺の桜並木、木漏れ日の城跡公園、白くて長い砂浜、日当たりの良い図書館、それから、あれこれ、いろいろなことを思い出していた。Mが亡くなった後、私の故郷は色のない場所になっていた。そういう場所だったはずが、ムロエさんの話を聞いていると、少しずつ色が戻ってくるような気がした。
 ムロエさんが事件について調べるために、研究所の人脈まで使ったことには驚いたが、だからといって新しい事実を掘り返すことができるとは思えなかった。それは時間が経過したからというわけではなく、事件そのものの真実は既に出揃っていると、私には感じられるからだ。それとも私が見落としている何かがあるのだろうか。あるとすれば、それは何か。
「その人から、何か新しいことを聞きだすことができましたか」
「仮にその人を、Kさん、とでもしましょうか。Kさんは……」

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