小説『虹をつかむ人 2020』第十四章 Novel "The Rainbow Grabber 2020" Chapter 14

第十四章

 その日は最近では珍しく虹が捕獲できない日だった。失敗かどうかは微妙なところだった。正確に言えば予報通り虹が発生しなかったので捕獲できなかった。そういう日もある。
 私は知らない町の知らない駅にいた。待合室は地元の中学生か高校生が列車を待っているだけだった。無人駅には余白が目立つ時刻表と煤けた看板がかかっていた。時刻表によれば、私が乗るべき列車まで一時間はあった。少し大きな駅で乗り継ぎ、うまくいけば4時間ほどで自分の部屋に帰れるだろう。虹捕獲デリバリーも空振りだったのだから、あのワンボックスカーに相乗りさせてもらうことも、できない相談ではなかった。しかし急いでいるわけではないし、誰かが待っているわけでもなかった。
 時刻表の隣にかかっている煤けた看板を睨んでみたが、私には判読できなかった。桁数の少ない電話番号が何とか読めただけだ。一体何屋の看板なのか、それはわからない。わからないという観点から見れば、木のベンチで一心不乱に文庫本を読む列車待ちの学生が、読むのを止めて私のことを穴が開くほど睨んでも、私の職業をあてることは、きっと難しいだろう。
 私は待合室から出て、外を眺めた。駅前のロータリーには小型タクシーが一台停まっていた。運転手は私を一瞥したが乗りそうにもないとわかると、手元の新聞に目を落とした。ロータリーには噴水があり噴水を取り巻くように花壇があった。花壇の脇に時計の塔があったが針は止まっていた。
 いきなり携帯電話が鳴った。着信を見ると知らない番号だった。普段なら電話帳に登録されていないような番号からの着信は絶対に取らないが、一瞬迷ったあと、私は電話に出た。ムロエさんかもしれない。
「大丈夫?」と言う早口の声は別れた妻だった。珍しいをこともあるものだ、という感慨を通り越して、まだ覚えている自分の耳に感心した。
「何が?」と私は本題に入る。誰?とか、久しぶりとか、元気?とか、挨拶や近況報告の交換は、一切抜きだった。元妻は元ではないころから、結論を急ぐ(急がせる)タイプだった。だからわれわれは結婚して、そして離婚したのだ。
「部長が」と妻は続けた。部長が捕まった報道をどこかで見たか知って、私が捕まるかどうかが心配になったのだ。そう思いながらも、あの報道からずいぶん経っているのに、なぜ今更、とも思った。
「大丈夫」と私は答えた。そしてすぐに「そっちの迷惑にはならない。部長の事件よりも、ずいぶん前に会社を辞めたから」と追加した。妻は私のことではなく、自分に何らかの被害が及ぶことが心配なのだ。だからわざわざ電話をかけたのだ。ということは既に「何らかの被害が及ぶこと」の始まりの兆しでもあったのか。
「探偵のような女が尋ねてきた」と妻が話題を変えた。それとも話題は、まだ繋がっているのだろうか。それが始まりの兆しなのか。
「探偵? 女?」と私は確認する。部長の件を誰かが調べているのか。探偵を使って、私のことを。
「の・よ・う・な・女。断定はできない。IDカードを確認したわけじゃない。ただあなたのことを尋ねていた」と言ったあと、妻は女の年格好や特徴を伝えた。弁護士。教師。コンシェルジュ。のようにも見える女。私の知っている女なのか、ということを質問している。
「知らない女だ。探偵だろうが何だろうが、話したいことを何でも話せばいい。遠慮なく」と伝えた。のような女は、きっと葬儀屋の受付も似合う女だろう、とは伝えなかった。
「もちろん、知っていることは伝えた。でも、別れてからは知らないから。だから、事件のことも知らないから。事件に関わっているのか、いないのかも知らないから。知らないことは知らない。そう伝えた」と元妻は言いたいことだけ言って電話を切った。
 きっとムロエさんだ。のような女はムロエさんだろう。元妻に「のような女は上級虹捕獲師の室絵という女だ」と伝えたところで理解できるわけがない。その説明は長くなる。長い話を元妻は嫌うし、そもそもしない。だから私は「知らない女だ」と答えた。元妻の相変わらずさに辟易した短い電話だったが、良い知らせもあった。少なくともムロエさんは、どこかに存在している。そして私に近づいているように感じる。それを知ることができた。

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