小説『虹をつかむ人 2020』第四章 Novel "The Rainbow Grabber 2020" Chapter 4

第四章

 論文は原稿用紙三枚に書いた。論文というよりも、短い作文だ。ここに全文を掲載するほどの出来ではないからポイントのみを記す。
 まず、自分の最初の虹の記憶について一枚書いた。
 私はその瞬間を明確に覚えている。小さなデパートの屋上遊園のアーケードで雨宿りしていた。十円玉で動く子供が乗れる動物型のカートが雨に打たれていた。ペットショップからは猫の糞尿の匂いが湿気に運ばれてきた。猫や犬や、小鳥の鳴く声も聞こえていたはずだ。この屋上遊園の目玉はデパートの外までせり出している宇宙船を模したゴンドラだが、制作費を抑えすぎたSF映画の一コマのようで、子供心にも物悲しい。子供は私以外一人もいなかった。雨だからか。それとも、その日は平日でまともな子供は学校に行っていたのか。私はなぜ、そこにいたのか。きっと母親とともにデパートに来たはずなのに、私の右手を握る大人はいない。「雨が止むまでここで待ってて」ということだったのだろうか。ここら辺の記憶は曖昧だ。子供の時間の感覚で三十分くらいだと思う。雨が上がり、西日が低く差し込み、私の視線の先に「七色の光の橋」ができた。動物たちの声が消えた。難破した宇宙船のバックに光の橋が架かっていた。私はポカンと口を開けた。開けたことは意識していないが、開けたままだったから涎が垂れた。漫画みたいだった。誰かが、私の右手を握った。視線をそちらに向けることなく、私は左手の人差し指で、七色の光の橋を指差した。それは宗教音楽のような(もちろん子供の私は聴いたことなどなかったけれど)崇高さに包まれていた。
 次に、最近見たはずの虹について一枚書いた。
 最近といっても、中学の同級生が風邪で亡くなったときだから、今から10年ほど前ということになる。それほど親しいわけでもないのに告別式に参列してしまったのは、なぜだったのだろう。あまりにも場違いで、私自身の存在が浮いてしまったほどだった。故人と仲の良いグループがいたから、なおさら妙な立ち位置だった。そのグループの一人の男の顔が、どうしても思い出せなかった。きっと私も、あちらから見ればそうだったと思う。告別式の帰りだった。街灯もまばらだったが、うっすら積もった雪に、月の明かりが反射していた。明るくて問題なく歩けた。その明るい夜空に、虹を見た。見たはずだ、と思う。確信は、あるような、ないような。雨上りでもなく、そのうえ夜だった。それでも見事な虹が架かった。半円で左右の橋もくっきりと鮮やかだ。虹(半円)の中心に自分が吸いこまれるような錯覚を覚えるほど完璧だった。亡くなった同級生の声が聞こえた。「君が来てくれるとは思わなかった。結局、借りた本は返せないまま、ということになる。申し訳なかった」。そうかそうだったのか。大丈夫だ。貸した本人が忘れるくらい大した本ではないのだから。
 最後の三枚目には自分が本当の有資格者なのかどうかについて書いた。
 もちろん例の告白については何も書かなかった。あの話はムロエさんに預けたつもりでいたから。私はそれ以外の、私について正直に書いた。会社の売り上げを伸ばせずに、サラリーマンとしては失格である。石川という部下をクビから救ったようにみえるが、特に何もしていない。自殺者と虹の関係はわかるような気もするが、捕獲師としての活躍ができるかどうか正直わからない。そうではあるけれども、捕まえられるものなら虹を捕まえたいと思う。虹が増えて自殺が減るのであれば、私自身を自殺から遠ざけるような効果が期待できるようにも思うので、年間どれだけ捕獲する、というような結果や成果は今は何も約束できないが、ベストは尽くすつもりである。少なくとも、これまでのサラリーマンとしての私よりは、私自身が成長できそうだし、成長したいと思う。私自身の贖罪と再生のために、との思いはあったけれど、作文には書かなかった。それはムロエさんに直接伝えるべき時に、伝えるべき言葉だ。

 作文「私と虹」を研究所に郵送すると『虹捕獲師初級研修カリキュラム』がすぐに郵送されてきた。昔、野球場で見た、プロ野球の選手たちの曲芸みたいな、内野のボール回しを思い出す。封書の差出人は今度は空白だった。

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