小説『虹をつかむ人』第五章   Novel "The Rainbow Grabber" Chapter 5

第五章

 私の気のせいではなくて、本当に虹が減っているらしい。でもその理由は何だろう。
 また私は率直に質問した。ちなみに、私は自分の率直さについて、私の数少ない美点の一つだと自負している。
「子供の頃、雨上りによく虹を見ました。最近、虹を見ない、虹が少ないということは、雨が少ないとか、太陽光線が弱いとか、空気が汚いとか、そういうことが原因なのでしょうか?」
「詳しいことは現在調査中です。ただ言えることは、雨や光や空気よりも、もっとメンタルなことが左右しているようです」
「メンタル? 虹の、メンタリティーですか?」
「虹に心があるのか?という視点はとてもユニークで、今後の研究分野の一つになるかもしれませんが、私が言うメンタルとは、虹ではなくて、観察者である私達の心です。その心が虹の発生を左右するのではないかと、研究所では考えています。今のところ、まだ結論は出ていませんが」
「なるほど。観察者の心ですか。ということは、仮に、私が虹の発生を強く望めば、空に虹が架かるということでしょうか?」
「残念ながら、そこまでダイレクトで、かつシンプルではないようです。前向きに生きる人の、前向きな生命の波動が、どうやら虹を発生させるようです。例えば、虹の発生を望むのではなくて、生きることを望むとか、そういうことです。そういう気持ちが強いほど、結果的に虹が発生するのではないかと考えています。特に研究所では自殺者数との関係を、現在調査中で、年間約二万人の自殺者数を半減できれば、虹は倍増するかもしれません。あくまでも希望的観測に基づく試算ではありますが……」
「あの、とても基本的なことをお聞きしますが、虹が減り続けると、何か私達の暮らしに良くないことが起きますか? 私には、何と言うか、特にないようにも思えますけれど」
「渡辺さんのおっしゃる意味はよくわかります。虹の発生件数がゼロであっても、実生活に実害がないのであれば、どうでもいいじゃないか。そういう意見は、よく耳にします。いや別に、渡辺さんを責めているわけではありませんから、誤解なさらないでください」
「はあ」
「一般的に虹は雨上りに起きる現象ですが、実は、それ以上の意味があります。渡辺さん、虹を見るとどんな気持ちになりますか?」
「そうですね。そうだなあ。あくまで個人的な意見ですが、懐かしい気持ちになったり、勇気や希望が湧いてきたり、『虹が出ているよ』と親しい誰かに伝えたくなりますね。それは、なぜだかわからないけれど」
「そうですね。研究所の調査結果でも、ポジティブになるような意見が目立ちました。虹を見ても、ネガティブな感情は湧いてきません。中には泣き出す人もいましたが、それは魂の浄化に繋がっているようです。観察者が仮に負の感情を抱いていても、虹を見た後は、前向きになるという人が多いようです。少数派ですが、殺人や自殺を思い留まったという報告もあります」
「それは凄いですね。虹の効果、ということでしようか? 虹を見ると元気になり、その元気が虹を生む、ということでしょうか?」
「ええ。そうです。簡単に言えば、そういうことになります。虹と、人の心は、人が思っている以上にリンクしています。そのことは、月の満ち欠けと人の心の関係ほどには、一般に知られてはいません。しかしながら、これからもっと知られていくはずです。啓蒙させていかなければと、個人的には思っています。そのためにも研究所は、もっと積極的に活動すべきですね」
「なるほど。激減する虹を増やすためには、人の心を前向きにすることが大切だということが、何となくわかりました」
「ご理解頂き、ありがとうございます。しかし渡辺さん、それはごく個人的なことであると同時に、国民生活に関わる国家レベルのことでもあります。一朝一夕に大きな成果をあげることは難しいということをご理解ください。それはやはり、何と言うか、高度な政治の話になりますから。私の個人的な意見を述べさせて頂くなら、個々の国家を超えなければ、ボーダレスでグローバルでなければ、いけないと思うのです。大げさではなくて、人類の存亡がかかっていると思うからです」
「なるほど。なるほど。ムロエさんの、熱いお気持ちはよくわかりました。それで、じゃあムロエさんは、何をしているのですか? 虹を増やすために具体的にどんな活動をされているのですか? また先ほどの質問に戻りますが、『一級虹捕獲師』とは何ですか?」
「具体的には、ときどき虹を捕獲しています」
 確かに肩書きからすれば、そういうことなのだろうと予想できたが、虹を捕獲するということが、いまひとつ、どうしてもイメージできない。また私は率直に質問するしかなかった。
「ちょっと待ってください。虹って確か、七色の光ですよね? スマホで、ウイキペディアで、今、虹を調べてみますから。いいですか、あった。『虹は大気中に浮遊する水滴の中を光が通過する際に、分散することで特徴的な模様が見られる大気光学現象』ですよね?  空に架かる虹を、どうやったら捕獲できるのですか? そもそも一体、何のために捕獲するのですか?」
「おっしゃる通りです。虹とは、いわゆる一つの光学現象です。デカルトやニュートンの言いたいことは理解できます。しかし、渡辺さん、虹というものはですね、実は…。おっと、私としたことが、お喋りが過ぎました。部外者である渡辺さんに、今の段階で詳しい説明はできません。規則ですから。申し訳ありません。お答えできる範囲で、簡単に言うと、捕獲とその目的についてだけですが、こういうことです。
 まず虹の発生を予想します。それは天気予報と同じです。将来的には国民の皆様に予報したいと思っています。天気予報内にある花粉情報みたいに、虹情報という感じですかね。つまり、その虹の発生の予想データに基づき、虹捕獲師が二人一組で虹を捕獲します。虹の橋の端は二つありますから、その両端をつかみます。GPSでかなりの端まで接近できます。しかし誤差はあります。最後は長年の勘に頼るところも大きいです。
 ペアの二人は密接に連絡を取り合う必要がありますが、お互いに近づくことは稀ですね。そんな小さな虹は、ほぼ発生しないからです。相手の顔を一度も見たことがないというペアもいます。
 基本的には虹捕獲師は現住所付近に発生する虹を対象にしていますが、日本全国均一に虹が発生するわけではありませんから、全国規模で出張することになります。そうですね、長いときは半年といったところでしょうか。
 さて無事に、虹が消えてしまう前に、虹の端に辿り着いたとしましょう。ご存知のように虹の橋は、コンクリートの橋のように地面に固定されているわけではありません。少しだけ、浮いています。それは平均的な高校の屋上くらいの高さです。といっても、虹によっても色々ですから、一つの目安としてお考えください。
 私達は特殊な梯子を鞄の中に折り畳んで入れています。折り畳むとDVD一枚くらいのサイズですが、伸ばすと百メートル以上になります。特殊超合金ですから、重さは折り畳みの傘ほどでも、とても頑丈です。その梯子を伸ばして、虹の端まで上っていきます。
 このとき消防士が着るような銀色のマントと帽子を着用します。このマントと帽子は文字通り隠れ蓑の働きをします。特殊な銀色のマントと帽子で、作業中だけ透明人間になります。万一、虹を観察している一般人がいても、私達を見つけることはできないのです。なぜそのような隠れ蓑が必要か? なぜなら、私達の活動はまだ公表する段階ではない、と上層部が判断しているからです。
 どこの組織でもそうだと思いますが、上層部の判断と現場の意識とは微妙にずれています。私は公表すべきだと考えています。一般人から虹に対する情報を集めて、捕獲活動を加速させなければならない。そうしないと手遅れになると思うからです。申し訳ありません、少し脱線したようです。
 さて、隠れ蓑を着て、透明人間になり、梯子を上り、虹の端まで来たら、ついに捕獲です。といっても、虹全体を捕獲するわけではありません。それは技術的に不可能ではありませんが、コストなどを考えてみると、その必要はありません。
 捕獲といっても、虹の端を、ほんの少しだけ、専用のナイフでカットします。そうですね、イメージとしては生ハムを薄くスライスするのに似ています。でも虹の端をカットするときには、何も感触がありません。驚くほど無抵抗です。空気や光をカットしているような気分です。そうやって虹をカット、というかスライスして捕獲箱に収納します。もう一方の端でも、同時に同じことを、別の虹捕獲師がしています。
 一つの虹で二つの端がスライスされ捕獲され、研究所に送られます。虹捕獲師は虹の運搬はしません。デリバリー専門のスタッフが大切に送り届けます。そうやって大量の虹の断片が研究所に集められるわけです。
 運搬中に虹は消えてなくならないのか? 鋭い質問ですね。でも大丈夫です。捕獲箱に特殊な気体を充填させていますから。おいしさ、そのまま、瞬間冷凍、のようなものです。
 コツさえつかめば虹を捕獲することは、それほど難しいことではありません。経験と技術は必要ですが、宇宙飛行士になるよりは簡単です。
 渡辺さんの二番目の質問、何のために捕獲するのか?についてですが、絶滅危惧種の繁殖、のようなものだとお考えください。ただし、虹には雌雄はありませんから、交配させて繁殖を目指すことはできません。
 そこで特殊な環境下で培養して保存します。現在やっと億単位まで保存が進んでいます。理論的には無制限に虹を増やすことが可能ですが、現実的には限界があります。なぜ限界があるのか? その要因は調査中です。
 誤解のないように付け加えるなら、この段階の虹のサイズ、保存する虹のサイズは、ボールペンの先端にあるチップくらいです。主成分は水と幾つかの分子で、重量は同じサイズの水滴くらいでしょうか。幾つかの分子が何なのかについては、申し訳ありませんが、お答えできません。実は、知っているものは研究所でもごく一部らしく、私も知りません。
 肉眼では難しいですけれど、そのチップを顕微鏡で見れば、ちゃんと七色です。将来的には、花火のように打ち上げて、自由自在に空に虹の橋を架けることを目指しています。ボールペンのチップくらいの虹の種を空に打ち上げて、あんなに大きな虹になるのか? もっともな疑問です。答えはとてもシンブルです。なります。なるんです。
 しかし、これも残念ながら、理論的にも技術的にも、可能な段階まできていますが、失敗の連続でもあります。でも渡辺さん、いいですか、月に人を送ったアポロ計画だって、最初は失敗続きだったんですから。未来に目を向けていきましょう! いつでも、どこでも虹が見られるなんて、とても素敵だと思いませんか?」
「確かにそうですね。正直、ちょっとイメージできないところもありましたけれど。そういう壮大な計画の一端を担うのが、『虹捕獲師』だということはわかりました。それでムロエさんは、その一級なんですよね?」
「そうです。でも最初は誰でも三級からです。三級を受験するためには、一級の推薦が必要です。推薦人は受験者の人柄をチェックします。特に問題になるのは、生きる意欲です。ただし、生きるためには手段を択ばない、というような生き方をする人は、残念ながら推薦されません。なぜなら、そこに負の要素が感じられるからです。
 三級になるためには、これといって特別な資格も実績も知識も不要です。推薦されたら面接を受けて、その場で小論文を提出して、合否を待ちます。小論文は四百字詰め原稿用紙五枚、制限時間は一時間です。ちなみに昨年度のテーマは『私と虹』でした。
 一概には言えませんが、渡辺さんのような一般的なサラリーマンの方の場合なら、そうですね、クビにする人よりもされる人の方が向いています。念のためお聞きしておきますが、渡辺さんは、これまでに誰かをクビにしたことがありますか?」
「いいえ」
 ムロエさんは満足そうに頷いた。石川の顔が浮かんだが、まだクビにしたわけではない。
「三級の次は二級、そして一級です。虹の捕獲実績を積んで、昇級試験をパスして上を目指します。一級になると、海外の虹捕獲師と連携しながら、世界的に活動していくことになります。世界的な傾向として、自殺する人が多い国は、虹の発生が減る傾向にありますから、各国とノウハウを共有していくことも大切な役割の一つになります。大体の概要は以上です。
 さて渡辺さん。私が今晩伺ったのは、他でもありません。実は、私は渡辺さんを推薦しようと思っています。いかがでしょうか?」


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