掌編『犬を拾う』Short story "Pick up the dog"
それは駅前に、野良犬がウロウロしていた時代だった。田舎でも、野犬狩りとか保健所とか狂犬病とか、そういうことのレベルは都会と大差はなかったと思う。私は10歳くらいで、その前の週に、初めての眼鏡を手に入れた。私はその瞬間に、殆どのスポーツを諦めなければならなかった。コンタクトレンズなどという、サイボーグ的な文明の利器は遠い未来だった。
駅前の本屋で立ち読みをし過ぎた私の足は棒になった。本屋の親父に睨まれながら店を出たら、茶色の子犬と目が合った。通りの向こうで黒い鼻を地面に擦り付けるように歩いていた。飼い主もいない。リードもない。首輪もなかった。犬の散歩。文字通り、犬だけが散歩していた。
私はゆっくりと知らない振りをして犬に近づく。犬も私に興味を持ったようで、少し近づく。そうやってお互いの距離が縮まったとき、私は、だっ、と飛び掛かった。そして、次の瞬間、子犬は私の腕の中にいた。抱いてみてわかった。思いのほか、がっしりしていた。骨が太い。見た目よりも重かった。最初、子犬は逃げ出したかったようで、体をよじってドタバタしたが、しばらくすると観念した。落ち着いてきた。私は温かくて柔らかい命を実感した。
子犬は私の顔をじっと見ている。その黒い瞳に映る私の顔を、私は発見した。そのとき、ああ、この子犬は私の犬だと感じた。首輪をつけて、リードをつけて、一緒に散歩する一人と一匹を想像した。それは少年の未来としては申し分なかった。
そのまま家まで連れ帰った。私は興奮していたのだと思う。どうやって両親を説得したのか覚えていない。今でも思い出せない。両親に反対される理由なら山ほどあったと思う。最大の理由は、すでに我が家では犬を飼っていたから。それでも、私は私の犬を手に入れることができた。
まず私は私の犬に名前を付けた。ジョン。良い名前だ。賢くて元気な犬にピッタリだ。少年の完璧な未来は、年とともにその輝きを増していった。犬の世話は私が全てやった。散歩も、食事も、ブラッシングも、ときどき風呂に入れたりした。一緒に眠ったりもした。子犬は成犬になったけれど、それほど大きくはならなかった。そういう犬種だったのかもしれない。一人と一匹の未来は前途有望。そうなるはずだった。
言い訳はしない。結局、少年の時間の配分が変わったからだ。意識的に犬の世話をサボったわけではないにしても、少年にとって、犬の世話が一番ではなくなった。放課後のクラブ活動やクラスメイトと遊びに行ったり、そのうえ初恋もあった。ほとんどの世話は母親に押し付けた。ときどき思い出したように少年は犬の散歩に出かけた。犬は歩きながら少年を振り返って、心配するような、楽しそうな、哀しそうな、嬉しそうに、笑った。幸福なのか不幸なのか、そんな複雑な犬の思いが、少年に伝わっていたのかどうか。犬にはわからなかった。
ある夜、突然、犬が細長い高い声で鳴いた。その声を少年はちゃんと聞いていた。ベッドの中でじっと聞いた。その声は初めて聞く鳴き声だった。少年は思った。「明日の朝、見に行こう」と。気にしながら眠ったが、眠れたのかどうかわからないうちに朝が来た。
犬は死んでいた。
少年は犬の亡骸を黙って抱いた。固くて冷たくて、それは、ジョンではなくて、死そのものだった。その瞳は二度と少年の顔を映さなかった。少年は泣かなかった。泣けなかった。自分の中の残酷さを知ってしまったから。少年の犬は少年にそのことを教えた。それが犬の役割だった。
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