小説『虹をつかむ人 2020』第一章 Novel "The Rainbow Grabber 2020" Chapter 1

          【noteの読者のための前書き】
 『虹をつかむ人 2020』は2014年に書いた『虹をつかむ人』の続編です。『虹をつかむ人』は新人賞に送って落選した作品の再掲載なので、最初からまとまった原稿がありましたが、この『虹をつかむ人 2020』は違います。同時代的に、まるで新聞に小説を連載するような感覚で執筆しています。ぼんやりとした設計図はありますが、どのくらいの長さになるのかとか、前作に登場した人物が今回どう動くのかとか、詳しいことは不明です。これから作者自身も楽しみながら書いていくつもりです(お楽しみに)。

第一章

「こちら、R621011、こちら、R621011、です。R640730、R640730、聞こえますか?」
「……、こちら、R640730、こちら、R640730、です。R621011、R621011、よく聞こえます」
「あと3分で、R20200707Sポイントに到着します」
「こちらは、1分前に同Nポイントに到着しています」
「申し訳ありません。山道からの脇道が想定外に荒れていて到着が、予定より1分遅れになります」
「大丈夫です。情報では虹は3分37秒間、ダム湖上空に架かったままです。捕獲は1分45秒あれば充分ですから」
「了解です。どうもありがとう」
 今回の虹は手強い。麓までは車で辿り着いた。そこからは徒歩だった。雨の名残が川を溢れさせ、足元を滑らせる。オフロードバイクなら多少は楽だったか…。しかし虹を捕獲するために環境を損なうような可能性は排除しなければならない。今回の虹の橋の南端(R20200707S)ポイントに到着したときには、ずいぶん息が荒くなっていた。
 夜中に雨が降り続き、夜明け前に止み、朝日に照らされ虹が生まれた。言葉にすれば美しい。それを目にできたら奇跡かもしれない。しかし確保するとしたら…それはまた別の話だ。
 ポイントに到着すると、隠れ蓑である銀色のマントと帽子を鞄から出して身につける。それから折り畳んだ梯子を組み立てて、早く虹の端まで梯子を上る。今回はジャンプの必要がない(助かった)。専用のナイフでカットする。虹をカットする行為を、われわれは捕獲と呼ぶ。カット=捕獲。いつも小さな違和感を覚えるのは私だけだろうか。
 直前にR640730と再度通信して、タイミングを合わせる。
「3・2・1・カット!」
 ここでは同時性が何よりも重要視される。1秒のズレでも、その後の培養を左右するらしい。1分40秒で捕獲終了。
「お疲れ様でした。今回は到着が遅れてすみませんでした」
「いいえ。問題ありませんでしたよ。お疲れ様でした。Nポイントの方がダム施設のエリアなので、Sポイントよりも比較的、到着と捕獲は楽でした。R621011、またペアになれる日を楽しみにしています」
 捕獲した虹を専用の容器に保管したら、デリバリー専門のスタッフを呼び出す。麓で待ち合わせ、引き渡したら任務完了。デリバリースタッフはごく普通の制服とキャップをかぶっているだけだが、印象としては移植のための臓器を運ぶ専門職員に似ている。次の瞬間、どんな人だったのかを忘れてしまうところも。
 今回の相手、捕獲師R640730とは、これまで何度かペアを組んだが素性は知らない。知らされていない。今のところ、特に知りたいとも思わない。通信の音声は合成音に変換されるため、老若男女のどのカテゴリーなのか、相手を推理することは難しい。もし個人的なことを尋ねたいとしても遠慮すべきだろう。マナーの問題というよりも、通信の通話はすべて管理センターでモニタリングされているから。今回のケースなら、私の現場到着の遅刻も、相手の気遣いも、すべて。
 相手のNポイントが、私のSポイントより簡単だったとは思わない。今回の虹は山間のダム湖に架かった。Sポイントは山中で、Nポイントはダムの外壁の上だった。山中から見る限り外壁の上は専用通路のようだったから、確かに到着するのは簡単でも、捕獲作業はそのものは大変だったはずだ。ダムの事務所から見られるリスクがあるから。隠れ蓑を着ていて、わずか2分以内の作業だとしても、だからといって簡単ではない。
 そんなことを考えながら車を運転してマンションに帰ってきた。車にキーをつけたま、地下駐車場の来客用スペースに駐車し、虹捕獲研究所の管理センターへ連絡した。車は知らない間に誰かがどこかに移動させることになっている。地下から自室のある階までエレベーターで上がった。

 いつもならエレベーターの扉が開くと、左の奥に、私の部屋のドアが見える。しかし今日はドアではなくて、その前に立つ女性が見えた。

 それが私とムロエさんとの出会いだった。その静かな出会いが、私を虹捕獲師に誘い、私という人間の、何かを変えた。あれから、この夏で6年。ムロエさんには会えないままだ。通信もない。

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