小説『虹をつかむ人 2020』第二十章 Novel "The Rainbow Grabber 2020" Chapter 20

第二十章

「真実は違う?」
「わからないわ。当時、担当刑事から聞き出した話を集めて、わかったことは、わからないということ。このことは、私と担当刑事しか知らない。担当刑事は数年前に亡くなった。肝臓癌でね」
「何がわからないのですか」
「まず首吊り。自殺とか、未遂とか、それをどう考えるべきなのか」
「今でも生きているわけだから。未遂ですよね」
「それはそう。家族がいない留守の間に、彼は二階の自室で首を吊り、それは未遂に終わった。そこで一つ目の謎。通報は自宅からされているけれど、誰が通報したのかわからない」
「出かけていた家族が戻ってきたときに、家族が見つけて救急に通報したのでは」
「出かけていた家族が戻ってきたときには、彼は既に病院のベッドの上で治療を受けていた」
「どういうことですか」
「家族は誰もいない、施錠もされていない家に帰って来た。鍵もかけずに息子は一体どこに行ったんだ?と父親が不審に思っていると、病院から連絡がきた。そして驚いて病院へ急いだ。あなたは誰が通報したと思う?」
「たとえば、そうですね。郵便配達とか、宅配業者とか、回覧板でも持ってきた近所の人とか、ガス、電気、水道の検針員とか、たまたま自殺を見つけた善意の第三者とか、でしょうか」
「家族が帰ってきたとき鍵は開いていた。郵便も荷物も回覧板も何もなかった。二階には息子はいなかった。そのとき息子は病院にいた。どこにも空き巣に入られたような痕跡はない。すべてが出掛けた時のまま。もちろん通報者もいない。変な話なのよ」
「119への通報は記録されていますよね」
「もちろん。特徴のない男だと思われる声で『大変です。二階で人が死にそうです。住所は……。急いで来てください』と言って電話を切った。担当者とは会話らしい会話もなかった。もちろん相手は名乗らない。気が動転しているのだろう、と通報を受けた担当は思った。そして救急が到着したら誰もいなかった、
 その時刻に不審な人間が出入りしたことを目撃したという、近所の人間はいない。防犯意識が高い高級住宅地だから見慣れない人間がウロウロしたら目立つのに。今みたいに、殆どの通りに監視カメラがあるなら、通報者が映っていたかもしれないのに」
「到着した救急が二階に上がると、自殺を試みて未遂だったハードラーがいたわけですね。当然、首から紐というか、ロープは外されていて、彼の体は下に、床に降ろされていたわけですね」
「そう。でもね。私はあなたよりも、この一連の事故について、長い間考えているうちに全く違う面が見えてきたの。それが二つ目の謎。ところで、あなた円錐って、ご存知?」
「円錐ですか。あの、底面が円で錐状に尖った立体、と理解していますが」
「そう。円錐は真上から見ると円なのに真横から見ると三角になる。この事故は上から見るだけでは、全容がわからないことに気づいたのよ。あなたにも真横から見てほしい」
「真横から?」
「大前提を疑う。円ということを疑う。事実だけをトレースしてみて」
「事実だけをトレースすると、そうですね、ただ死にかけた人間が生き残っただけです」
「そうね。では人が死にかけるのは、どんな時かしら」
「意識的な自殺、思いがけない不慮の事故、天災や人災など、それから…」
「殺人」
「まさか? 自殺未遂ではなく、殺人未遂だとお考えですか」
「そう。円が三角に見えてきたのよ私には。この事故を考えているうちに、私は通報者が殺人者だと思うようになってきたの」
「証拠は? 証拠は何ですか? 家の中は出掛けた時と何も変わらない状態だった、ですよね。ハードラーはアスリートでしたから非力ではないと思います。当然、黙って大人しく殺されない。何らかの、たとえば激しい抵抗をしたはずです。
 それから動機は? これが殺人なら殺人者の動機は何ですか? 留守を狙った物取りではないですよね。現場の状況から見て。犯人が異常者で殺人そのものが動機だとしても、今度は、殺人を未遂で終わらせて、そのうえ救急にまで通報していることが、私には理解できません」
「たまたま留守宅に鍵を壊して忍び込んだ空き巣が一階を物色していると、物音に気付いた留守番の息子が二階から降りてきて、空き巣を見つけて揉み合いになって、空き巣は息子を殺してしまった。あわてた犯人は何も取らずに逃走する。ということなら、ある意味わかりやすい。よくある事件の一つになるのに」
「その通りです。しかし、です。鍵は壊されていません。争った痕跡もありません。それでもまだこれを殺人未遂だとすると、そもそも息子は犯人を招き入れたことになる。見知らぬ人間を簡単に、家族が誰もいない留守宅に招き入れたと考えるのには、やはり無理があります」
「そう確かに。じゃあ仮に、見知らぬ人間ではなかったら、どうかしら?」

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