小説『虹をつかむ人 2020』第十九章 Novel "The Rainbow Grabber 2020" Chapter 19

第十九章

「転校した後、ハードラーは自宅で首を吊ることになります。詳細は不明ですが、自殺は未遂で終わります。発見が早くて、すぐに病院に運ばれて、命は助かりますが、脳に障害が残ります」
「当然、転校先の学校も退学になる。高度な医療を受けて、その後はリハビリに励んだらしい、ということは私にもわかっているわ。でも、その後がようとしてわからない。そして私の記憶の底に沈んだ。あなたが来るまでは」
「自殺の件。未遂の件。後遺症の件。それらのもろもろの、社会的な風評から息子を避難させ、心身の快復を図るために、地元から海外へ医療拠点を移すことになりました。脳神経外科の権威がいるというスイスの病院で治療を受けます。治療の詳細は専門的なので省きますが、運動能力は機能的には問題ないのですが、神経伝達系に障害が残り、改善されぬまま車椅子生活に。そのかわりにハードラーは特異な能力を獲得します」
「そのかわりに? 特異?」
「因果関係は不明ですが、われわれは、そのとき彼が特異な能力を獲得したと考えています」
「どんな能力かしら」
「主に自然に関する予知能力です。風、雨、日差し、などなど。地震や雷、それに伴う津波や火災、さらに豪雨や噴火などに対する予知能力です」
「治療やリハビリで能動的に身に付けたということかしら」
「というよりも死に臨んだから受動的に身に付いたのだと思います」
「簡単にいえば、つまり自殺未遂が臨死体験につながり、死から戻ってきたら、自然に超能力が身に付いていたということなの?」
「進化というものは極限を超越することで推進されます。最悪の極限は臨死ですから、それを超えたから、新しい能力を獲得できたとスイスの主治医は考えているようです」
「でもそれは、たまたまなのかもしれない」
「そうかもしれませんが、臨死体験が人類の進化の推進に影響を与えるということは、臨死体験者の過去のデータからも明らかのようです」
「なるほど。あれね、宇宙飛行士が宇宙から地球を見るとその後の生き方が変わる、とか。そういう感じなのかなあ。よくわからないけれど。でも、そういう便利な、予知能力みたいなものがあれば、社会復帰は比較的しやすいのではないかしら。なのに、その後のことハードラーのことは、少なくとも私には聞こえてこなかった」
「彼に記憶障害が残ったからです。そうなると社会復帰は難しい。自殺前後の記憶が抜け落ちて、きれいに消えています。大体、十五から十九までの記憶が消えてしまった。中学を卒業したら、いきなりスイスの病院で目が覚めた。そういう実感だそうです。恐ろしい話ですが、本人から聞きました。
 順番から言えば、部下になったWの一連の話を聞く前に、記憶喪失の青年(のちのハードラー)の話を聞いていて、その二つが数十年の時を経て繋がりました。順番から言えば、ハードラーが先に私の部下になり、その後Wが部下になります。
 今頃二人は、われわれの組織のどこかで再会していることでしょうが、その再会は、とてもちぐはぐでアンバランスなはずです。なぜならハードラーには高校時代の記憶がありませんから」
「なるほど。空白の記憶があると社会復帰とか、特に就職は難しそうね。でもあの父親がいるなら、特に働く必要はないとも思うけれど」
「確かにその通りです。でも本人は父親から離れたいようでした。そこでわれわれの組織に入ることになります。まあそれも大きな意味では親のコネ、人脈の一部でしたが。でもコネの有無は問題ではありません。それがなくても、われわれは彼の予知能力を探しあてたはずです。研究所にとっては必要不可欠な人材なので」
「あなたの組織というのは、名刺にあった『公益財団法人虹捕獲研究所』のことね。この研究所についてもっと詳しいことを知りたい気もするけれど、そこに入所したハードラーは何をするのかしら」
「気象的な予知能力で『虹』の発生を予報、予知してもらいます。今では彼は『神の予報官』と呼ばれています」
「予報が神のように外れない、ということかしら」
「ということです。最初から外しませんでしたが。ハードラーは神として、空白の記憶を抱えながら、われわれのために、そして自分のために、この瞬間にも、虹を探しています。Mのことも、自分が首を吊ったことの理由も、一切思い出せぬままに」
「それは残酷ではあるけれど、救いであり、赦しかもしれないわね」
「同感です。そうであってほしいと願います」
「そういうことだけれど。もしも真実がそうであれば、の話だけれども。私の知ったことは、今のあなたの話と少し違う。残念ながら……」

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