小説『虹をつかむ人 2020』第十二章 Novel "The Rainbow Grabber 2020" Chapter 12

第十二章

 部長の逮捕劇が報道された後、急いで石川の携帯に電話をしたが、繋がらなかったので、とりあえずメールしてみた。
「大丈夫か?」
 私は虹を淡々と捕まえていた。石川からは忘れた頃に返信があった。
「大丈夫です」
 返信を読んで安心したのだがど、何がどう大丈夫なのか? 正直、具体的には一切何もわからなかった。「部長が捕まっても、会社は大丈夫だ」という意味にもとれる。「部長が捕まっても、私(石川)は大丈夫だ」という意味にもとれる。仮に、「私(石川)は大丈夫だ」という意味だとすれば、大丈夫ではないかもしれないような可能性は、ゼロではないという意味かもしれない。つまり石川自身が、手が後ろに回るようなことをしていた、させられていたということなのか。たとえば部長と同じような贈賄罪。だが「大丈夫です」という返信である。していないから「大丈夫です」なのか。しているけれど、部長みたいに捕まらないから「大丈夫です」なのか。それは一体どっちだ。
 石川の奥さんの顔が浮かんだ。あの奥さんは、決して不正を許さないだろう。それが必要悪であろうが何であろうが。たとえば、あの奥さんが野球部のマネージャーだとすれば、石川が遊撃手だとして、たとえば隠し玉を持っていて、それで勝ったとしても、決して喜ばないだろう。というよりもフェアプレイではないことを、きっと非難するはずだ。あのときの視線の真っ直ぐさは、どう考えてもわれわれ三人の中でも本当に、本物だから。
 確かに石川のことは気にはなるが、私は私で、虹の捕獲でそれなりに忙しい。石川は馬鹿ではないし(私よりも優秀だから)、危ない橋も渡らないだろう(大事な妻子のためにも)。
 私は虹を淡々と捕まえながら、なぜ、こんなに石川のことが気になるのだろう、と自問自答した。私は石川を信用しているのか。それとも、していないのか。
 答えは、決まっている。私は、石川を、信じて、いる。
 私は石川が、フェアプレイ、だけをするであろうことを、馬鹿みたいに信じているわけではない。優秀であればあるほど、そこに、つまりフェアでない状況に自分を置く可能性はあるし、部長のようにそこに陥ってしまうこともありうるだろう。しかし、石川は少なくとも、大事な妻子のために、犯罪には手を染めないだろう。そう思いたい。部長にも妻子がいるが少なくとも子供は独立している。石川の子供たちは、まだ本当に、子供のままなのだ。
 それでは、私に何ができるのか、と考える。できることは何もないことに気づく。私は、ある意味で、石川のために会社を辞めた。早期退職に手を挙げたから、石川は首にならずに済んでいる。そんなふうに、どこかで私も、そして確信をもって石川の妻も、思っている。信じている。事実に照らしてもそのようである。そこには特に嘘もないし、正義というか、真実もきっとあるはずだ。
 だからといって、それは本当の、誰にとっても、それは真実なのか? 石川になって考えてみる。考えてみればわかるはずだ。
 いきなり、あのとき自分が信頼していた渡辺という上司が消えた。自分には何の相談もなく「ヘッドハンティンされた」とかで、早期退職して、どこかに消えてしまった。頼りにしていたのに「あとは一人でやれよ」と。自分の何が悪かったのかと、常に考えてしまう。なぜ自分は突き放されたのか。「お前は優秀だ」といわれたところで、実績もない自分には、ただの重圧にしか過ぎない。上司の渡辺は、自己犠牲か何か知らないが、「俺が辞めるから、お前は首にならない」と強調する。そんなことをアピールされたところで、部下はどうすればいいのだ。上司の渡辺自身は、きっとどこかで勝手に自己実現をするのかもしれないが、こっちはどうするんだ。そんなことは上司は知らないだろう。わかっている。知らないのが当たり前だ。それならそれで、期待なんかを持たせて欲しくなかった。わかっている。人は皆一人なのだということを。ならば、自分が残って私を首にすべきだったのではないか。偽善。「首を切らないでおいてあげた」という偽善。あんたは上司で、俺は部下だが、人としては対等ではないのか?
 私の思考がグルグルと回り続けていた。しばらくして私は我に返った。石川が考えているかもしれないことを考え続けて、一つだけ気づいたことがあった。それは結局のところ、すべて私の「自己満足」なのだ。

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