量子計算学習ノート - Bellの不等式


この記事は「量子コンピュータと量子通信 (オーム社)」の読書ノートです。


この記事では量子力学が従来の力学による直観を確かに超える証拠である、Bellの不等式について説明する。

このためにある思考実験を行うことにしよう。この実験はアインシュタイン、ポドルスキー、ローゼンという三人の物理学者が提案したEPR論文と呼ばれる論文の中で行われた。

登場人物はAlice、Bob、Charlieの三人だ。まずCharlieは二つの粒子を用意する。そしてCharlieはこの二つの粒子をいくらでも用意できるとしよう。粒子を用意したら片方をAliceに、もう片方をBobに送る。

Aliceは粒子に対する測定を行う二つの測定装置を持っているとする。この測定装置を$${P_Q, P_R}$$、その取りうる測定値を$${Q, R}$$と置くことにし、$${Q, R = \pm1}$$であるとする。誤解を恐れずに言ってみれば、$${Q, R}$$は従来の力学において確率変数、量子力学において観測量を表すことになる。

Bobも同様に測定装置$${P_S, P_T}$$をもち、その取りうる測定値を$${S, T (= \pm 1)}$$とする。そうしたらAliceとBobは完全にランダムでもよいし、偏りが生じてもよいので、何かしらの方法でどちらの測定装置を使って測定を行うか選ぶ。

ここまで来たら準備は整ったので、あとはAliceとBobは互いが互いの測定に影響を与えない方法で測定を行う。一番簡単な方法は同時に行うことだ。物理的影響は光よりも早くは伝わらないため、完全に同時に行えばAliceが行う測定にBobが影響されることはなく、その逆もしかりになる。ただし、これは従来の力学においては影響を与えないだけなので、仮定となる。これを局在性の仮定という。

AliceとBobの測定は互いに影響を与えない

局在性の仮定

さて、この実験を十分多い回数行う。その後にもう一つの重要な実在性の仮定といわれる仮定をする。

量$${Q, R, S, T}$$は測定する前にすでに定まっている

実在性の仮定

実在性の仮定のもとに次の量を考えることにする。

$$
QS + RS + RT - QT
$$

簡単な計算により、この式は次のように書き直される。

$$
(Q + R)S + (R - Q)T
$$

$${Q, R = \pm1}$$のであるため、$${(Q + R)S = 0}$$か$${(R - Q)T = 0}$$が成り立つ。したがってこの量は$${\pm 2}$$のいずれかになる。

では次にこの量の平均値$${\mathbb{E}(\cdot)}$$を考えよう。量$${Q, R, S, T}$$がそれぞれ$${q, r, t, s}$$の値を取るときの確率を$${p(q,r,s,t)}$$とおくと

$$
\begin{array}{l}
\mathbb{E}(QS + RS + RT - QT) \\
= \sum_{q,r,s,t} p(q,r,s,t) (qs + rs + rt - qt) \\
\le 2
\end{array}
$$

が成り立つ。また

$$
\begin{array}{l}
\mathbb{E}(QS + RS + RT - QT) \\
= \sum_{q,r,s,t} p(q,r,s,t) (qs + rs + rt - qt) \\
= \sum_{q,r,s,t} p(q,r,s,t) qs + \sum_{q,r,s,t} p(q,r,s,t) rs + \sum_{q,r,s,t} p(q,r,s,t) rt - \sum_{q,r,s,t} p(q,r,s,t) qt \\
= \mathbb{E}(QS) + \mathbb{E}(RS) + \mathbb{E}(RT) - \mathbb{E}(QT)
\end{array}
$$

であることから、次の不等式を得る。

$$
\mathbb{E}(QS) + \mathbb{E}(RS) + \mathbb{E}(RT) - \mathbb{E}(QT) \le 2
$$

これをBellの不等式(CHSH不等式)という。

なお、Bellの不等式は従来の力学において守られているべき不等式全般を指す言葉であるらしい。ここで紹介した不等式には狭義にはCHSH不等式と呼ぶのが正しいようだ。

さて、CHSH不等式の左辺を量子力学の記述で書き直してみることにする。前提としてCharlieは次のEPRペアを用意する。

$$
|\Psi \rang = \frac{|01\rang - |10\rang}{\sqrt{2}}
$$

$${Q, R, S, T}$$には次の観測量を採用する。

$$
\begin{array}{l}
Q \equiv \sigma_z \otimes I \\
R \equiv \sigma_x \otimes I \\
S \equiv I \otimes (-\sigma_z - \sigma_x)/\sqrt{2} \\
T \equiv I \otimes (\sigma_z - \sigma_x)/\sqrt{2}
\end{array}
$$

なお、次回示すが$${S, T}$$の固有値は$${\pm1}$$であることが証明できるため、今回の議論に適用可能だ。このとき、観測量の平均値を量子力学の慣例に従って$${\lang \cdot \rang}$$と書くことにすると

$$
\lang QS \rang = \frac{1}{\sqrt{2}}, \lang RS \rang = \frac{1}{\sqrt{2}}, \lang RT \rang = \frac{1}{\sqrt{2}}, \lang QT \rang = -\frac{1}{\sqrt{2}}
$$

である。このことから

$$
\lang QS \rang + \lang RS \rang + \lang RT \rang - \lang QT \rang = 2\sqrt{2}
$$

これは驚くべきことで、従来の力学において$${QS}$$の平均値、$${RS}$$の平均値、$${RT}$$の平均値の和から$${QT}$$の差を取ると、$${2}$$を超えないことが保証されていた。しかし、量子力学においてはこの保証が成り立たない! そして実際に実験を行ってもこのCHSH不等式の破れは示されることがわかっている。

なぜこんなことが起こったかというと、背理法的にそもそもの仮定が正しくないことが言える。つまり局在性の仮定か実在性の仮定、またはその双方が自然において間違っている、ということをCHSH不等式の破れは示唆している。

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