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子どもの居場所づくりをする大人の願い

冒険遊び場との出会いは小学校の時だった。
当時、「フィールド・アスレチック」(木製遊具)を学校に作る夢を語った先生。そのワクワクした表情に僕ら子供たちも心を躍らせた。実現した時には嬉しかったのだが、イメージしていた「秘密基地」とは違っていた。一通り遊んだ後は、だんだん人が寄り付かなくなる。つまり、飽きるのである。遊び方を変えることである程度愛着は湧くのであるが、長続きしないのはなぜか。それは、子供の発想による「開発」の余地がないためだ。

少なくとも「子供が自分の居場所をつくる」発想を取り入れて設計する、子供が工夫して場を作る仕掛けが大切だ。
そもそも、プレイパークの概念は発祥はどこか。

プレイパークの発祥は、1943年第二次世界大戦中のコペンハーゲン市郊外につくられた「エンドラップ廃材遊び場」。きちんと整えられた遊び場よりも、空き地や資材置き場の方が子どもたちが大喜びで遊んでいる、ということに気づいたデンマークの造園家ソーレンセン教授の提案によってつくられたそうです。

https://www.tanenokai.org/プレイパークとは/

初めから施設は用意されていない方がいい。何もないところに材料が置いてあり、それを生かして「遊び」をつくる。

私は空き地で探検していて釘を踏み抜いた痛い経験がある。大変な思いをしたが、冒険をすると言うことはそれなりのリスクを伴うことを学んだ。
あるときは、下を向いて自転車を漕いで進んでいたら止まっていたトラックにぶつかって転倒し、膝にブレーキハンドルの先が刺さって穴があいたこともあった。
今、思えば、間抜けなエピソードであるが、不注意がもたらす危険を学習したことでその後の生活に危険回避する行動特性を獲得したことを幸運だったと思う。

これは大人に指示された環境では体験できないことだった。

全国に400あるとされるプレーパーク。運営母体は地域のボランティアなのが日本のプレーパークの特徴だという。

海外の状況と違うなと感じたことから理想の遊び場を求めて東川町にやってきた若者がいる。そこで始めた事業が「わくわくプレイス」。支援者の及川 研先生には自ら会いに行きつながりを作り、地元に招いて事業が始まったという。

その縁で地元の教育関係者への講演会が行われ、私は繋がりをいただく機会を得た。代表の方にお会いした後、わくわくプレイスの夏休み特別教室をのぞいてみた。

紙、マジック、のり、薪、プラコップ、ストローなどの材料が用意されていた。子供たちは好きなものを持っていって思い思いに遊びを作っていた。入り口には、薪がモノポリのように積み上げられていた。ブルーシートに足を伸ばしてくつろいでいる大人の横で、ダンボール何かを台にして、その上で画用紙を適当な大きさに切って、たくさん0がつく数字をかき、最後に円をかく。遊びの景品に、おもちゃの「大金」が使われた。子供たちはそばにいる大人を遊びに誘う。

「わくわくの大人で、やりたい人いますか?」

私もプラカップに玉を入れる遊びに加わった。入らなかったが、他の大人は、見事にカップインして、8000万円を手に入れ、ガッツポーズ。

子供の遊びに本気で付き合う中で、その子が考えている世界観が見えてくる。

子供が遊びの中で学びを得る環境づくりを探究する旅は続く。





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