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スーパースターになっても

SCENT OF HUMOR TOUR 2022が開催されて、私は埼玉2日目と宮城の2日目、幕張の2日間に行くことができた。

これは決してライブのレポではない。
思い出したことと、思っていたこと。私の感想とただの自分語り。

back numberというバンドを好きになって、かれこれ12年が経った。
あの頃私はまだ19歳で、取りたての免許が嬉しくて、時々夜中にひとりで車でぶらぶら走ることがあった。その当時、まだ知ったばかりのback numberを、バイト代で買ったi podから流していた。

行ってみたい道はあるのに、そっちに進んだらどうなるのかがいまいち見えない19歳の心情と、夜中に見る田舎の景色はよく似ていた。大きな国道は明るくて走りやすいのに、少し横道に入ると暗く、自分の車のライトしか頼りになるものがなくてちょっと怖かった。

sympathyを聞いていた。marchも、海岸通りも、あとのうたも、風の強い日も、KNOCKも。
励ましてほしいわけじゃなくて、弱くいることをただ肯定してほしいわけじゃなくて、とにかく横にいてくれるような音楽が聴きたかった。彼らの音楽はまさしくそうで、ただ横にいてくれた。逃した魚も、あとのまつりも全部聞き終わると、家に帰って眠ろうかなという気持ちになった。

21歳で就職して上京した。
もうだいぶ使い古したi podで 電車の窓から を聞きながら新幹線に乗って、一人の部屋で スーパースターになったら を聞いていたあのとき。これから社会人になるんだという不安と期待、窓の外から春のにおいがしていたのを、今でも鮮明に覚えている。

それからは1曲ずつ、1曲ずつ、発売されていく曲たちを噛みしめて、ただただこの音楽たちに隣に居てもらった10年間だった。

慣れない街を散歩しながらはなびらを聞いていた。
地下鉄の終電でfishを聞いていた。
会社の屋上にある喫煙所で、チェックのワンピースを聞いていた。
悲しい知らせがあった夜に思い出せなくなるその日までを聞いていた。
恋人に会いにいく電車で何度も花束を聞いていた。
一緒に暮らし始めた部屋で日曜日を聞いていた。
料理をしながら光の街を、アップルパイを聞いていた。
転職しようと決めたときにsisterを聞いていた。
仕事がうまくいかなかったときにささえる人の歌を聞いていた。
恋人と別れることになった夜に繋いだ手からを聞いていた。
引っ越しの朝にone roomを、君がドアを閉めた後を聞いていた。
また恋をして、クリスマスソングを聞いていた。
好きな人と会った帰り道に世田谷ラブストーリーを聞いていた。
仕事で良いことがあって、東京の夕焼けを聞いていた。
好きな人と、恋人になれた日に僕の名前を を聞いていた。
一緒に「8年越しの花嫁」を見に行った夜に瞬きを聞いていた。
働く中で葛藤があって、エキシビジョンデスマッチを聞いていた。
自分の力で葛藤を乗り越えられて、あかるいよるにを聞いていた。
結婚した日にお風呂の中でオールドファッションを聞いていた。
出張から帰る新幹線で、夫に早く会いたくて怪盗を聞いていた。

コロナで仕事が激減して、収入が減ることは明らかなのに、それでもやらなきゃいけないことがたくさんあって、辛くて悲しくて不甲斐なくてやりきれなくて。何を恨んだら良いのか、どこにぶつけたら良いのかも分からず、ひたすら心を殺して淡々を仕事をしていた日に。水平線を聞いていた。

鬱になったこともあった。胃を壊したこともあった。自分が生きることにあまりにも向いていないように思う日が、すべてをリセットしたい夜が、たくさんあった。楽しい日も、今が一番幸せだと思える日もたくさんあった。
どんな日も、back numberを聞くことだけはやめられなかった。

ライブで風の強い日を聞いた瞬間。
back numberを好きになったあの19歳の頃が蘇って涙があふれた。sympathyを聞いた瞬間、走っていた道路の景色まで思い出していた。
きっと私は今、19歳の私が望んだ通りの31歳には全然なれていない。なれていないけど、なりたくなかったような大人にもなってないと思うよ。案外悪くはないんじゃないかな。

MCの中で依与吏さんが「俺たちは見つけてもらえて運が良かった」と言った。その言葉がやけに心に響いた。そして、「見つけてもらえていない人がたくさんいる」と続けた依与吏さんは、どこまで優しい人なのだろう。

「運が良かった」のは、見つけることができた私のほうだ。back numberがいてくれて、曲を作ってくれて、楽曲やファンへ向き合う姿勢を見せてくれたから、社会人になってからの人生をそれなりに生きられた。誰にも見つけてもらえない日も、それこそ「誰の心に残る事も 目に焼き付く事もない今日」も腐るほどあった。これからもきっとあるんだろう。悔しくて悲しくてやりきれなくて嫌になる日が。それでも、私たちファンが泣いてしまう日にはback numberの音楽が、地図と毛布と水筒を持って一緒に迷ってくれるんだろうなと思う。

水平線を聞きながら、NO MAGIC TOUR 2019での依与吏さんのMCを思い出していた。
「あなたに関係のある、あなたの人生に自分事として寄り添う曲ばっかり馬鹿みたいに作って行く」
「あなたの心の一番深いところに寄り添えるバンドになる」
そう約束をしてくれた彼が、まさしく誰もが戸惑い、悲しみ、疲弊しているコロナ禍というタイミングで、この水平線という曲をリリースしてくれたことを考えていた。
「インターハイが中止になった高校生に向けて」という、あまりにも優しい理由がきっかけで制作・発表されたこの曲は、確かにあのライブでの約束そのものに思えてならなかった。あの時約束してくれたことを、きっと彼自身がもがき、苦しみながら実行してきたんだろう。

ツアーファイナルである幕張の2日目の、ラストもラストに依与吏さんが呟くように言った「大丈夫」が、こんなにも私の心を軽くしてくれたのは、今までずっと私自身が心の中でそれを唱えていたからだと思う。
「大丈夫」「大丈夫」と何度も自分に言ってきた。その答え合わせをしてもらえた気持ちだった。依与吏さんが「大丈夫」というのなら、私のこれまでの「大丈夫」も間違えていなかったし、これからも魔法みたいにひとこと呟いて、なんとかやっていける。

あぁ、好きでいて良かった。12年間、ずっと好きで追い続けていて良かった。新しいことに挑戦して、どんどん大きな舞台に向かって行って、それでも誰一人置き去りにしないようにと精一杯考えていてくれるこのバンドが、大好きだとまた強くと強く思った。

この人たちに救われて生きてきた。生きていく。
手が痺れるほどの拍手をしたけど、私がどれほど感謝しているのか、きっと全部は渡せていないと思う。すべてが伝わっていたらいいのにと思うけど、また次の機会にもっと大きな拍手と、できればその時には歓声を贈れたらいいな。

あなたが肯定してくれる、それ以上に自分で自分を褒めてあげられるように毎日を重ねて、また会いに行こう。






最後に

コロナ禍で、ライブも今まで通りにはいかないことがたくさんありました。気を遣わなきゃいけないところが増えて、ルールも変わった。それは私たち以上に、スタッフさん側には想像を絶するほどたくさんあったことと思います。ライブそのものも当然感動したけど、丁寧に道案内をするスタッフさんや、何百人分もやっているだろうに笑顔で「ご協力ありがとうございます!」と言ってくれた検温のスタッフさんにも感動を頂きました。私たちの見えないところで色々なことをしてくださってる方にも。ありがとうございました。どうか届きますように。



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