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ノートルダム大聖堂とマリア信仰

 13世紀から14世紀をゴシック時代という。もっとも、いつからいつまでというのは正確には決まっておらず、だいたいこの頃という感じだ。ゴシックとはもともとは建築様式を表す言葉だ。代表的なゴシック建築として、美しいバラ窓で有名なパリのノートルダム大聖堂がある。学生時代に友人らと貧乏旅行でクリスマスのパリに訪れたとき、その日の夜にミサが行われると知りわざわざその時間帯に出向いた記憶がある。大聖堂の中にはなんとも言えない厳かな空気が流れ、言葉も分からない仏教徒の私ではあるが、神に祈りを捧げることで心が休まるような感覚を覚えた。でも、暗くなってからの訪問だったので、肝心のバラ窓が真っ暗でよく見えなかったのは失敗だった。
 そんな思い出深いノートルダム大聖堂が、2019年4月15日の火災で燃え上がっている映像には本当に心が痛んだ。再建に向けての動きでは、デザインを変更する方針だと聞いていたが、どうやら先日元の姿のままに修復することが決まったようだ。

 ノートルダムとはフランス語で「わたしたちの貴婦人」つまり聖母マリアを意味する。ゴシック時代には、キリストだけでなく聖母マリアを信仰することが盛んになったという。

イエスは人間であるが、やはり神なので畏れ多く、ちょっと近寄り難い。そこで、親しみやすいマリアを仲介者として、天上の神に執り成してもらうことを民衆は望んだ。人々はマリアに祈りを捧げることで、神に救いを求め、赦しを請うた。マリアが「とりなしの聖母」と呼ばれるゆでんである。また、「憐れみに聖母」と言われることも多い。
高橋秀爾「《受胎告知》絵画でみるマリア信仰」PHP新書

 中世においては書物は一般の人には普及しておらず、キリスト教の教えは教会に飾られる絵画や彫刻を通して伝えられた。都市部を中心にキリスト教が次第に力を増し、続々と建てられた教会には受胎告知の聖母マリア像が繰り返し描かれるようになった。この頃のマリアの姿は、威厳をもった近づきがたい存在ではなく、人間らしい親しみやすく慈愛にあふれる姿として表現された。

 ではこの時代、人々は何を祈ったのか。そこには中世ヨーロッパでのペスト大流行が関係する。

中世ヨーロッパにおけるペスト流行の起源についてはいくつかの説があるが、最初の発生が中央アジアであったという点では一致している。そこから中国に向かい、1334年、浙江流域で大流行を起こした。さらに天山山脈の西北を経由してクリミア半島に至り、海路ヨーロッパへ運ばれた。ヨーロッパへ運ばれたペストは、その後半世紀にわたって人々を恐怖の底に叩き込んだ。この流行によって亡くなった人の数は2500万人とも3000万人ともいわれる。ヨーロッパ全人口の三分の一から四分の一にも達した。
山本太郎「感染症と文明 共生への道」岩波新書

 人々はこれを神の怒りの現れだと捉えた。また、1339年から1453年にかけて百年戦争も勃発した。このような社会的不安が高まったとき、人々は慈しみ深い聖母に救いを求めたのだ。

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