創作の「俺」「俺」「俺」

「あっ!いいこと思いついた!」と創作をしているといつも思う。
最高のアイデア!俺って天才!最強!最高!

車輪の再発明という言葉を、最近知った。

その「いいこと」、というのは創作の中で誰もが思いつき、ある時は作風に合わず、ある時はあまりにもレベルが低く下らぬと切り捨てられる。
ぼくはその先人が捨て去っていったアイデアのゴミ溜めの中で、それらを黄金として目を輝かせている。
使えそうなものは全て拾い、ありったけを背負って帰路に就く。
事実、ぼくのようなド素人からすれば彼らの廃棄物は宝の山だ。
しかしまぁ節操がなく、下手をすればその思いついた「いいこと」のためにあらゆるものを捻じ曲げていく。
情景も、設定も、何もかも。
まるで鶏ガラを入れたいがために、シチューを作っているはずの大鍋を無理矢理にラーメンスープにするかのように。
ユリ・ゲラーも驚くほどに独りよがりでねじくれた作品が出来上がるのだ。

いかんせん、自分は「無」から何かを作るという能力が決定的に欠けている。
故に、既存の創作物から何かしらのヒントやひらめきを経て、自分の味付けで出している。
言語化は難しいのだが、自分の創造の根っこにはかなり同人意識があるように思う。

このシーンがもっとしっかり描写されていれば……このシーンは要らねぇんだけどな…という所である。
かと言って「このシーンをもっと増やしてさ、ここ削ってよ」なんて厄介クレーマーのようなことは言えないし、言ったところでブロックされるのがオチだ。
ならばどうする?自分で作ればいい。
絵は無理だが文章なら多少はイケる。
技量らしい技量などはないが、作るだけなら俺でも出来る。
俺が食べる料理を俺が作るというマインドは、意外にもモチベーションになっている。

こうして今日も、「俺が、俺が、俺が」の自己満三段活用な作品が出来上がるのである。
俺が大好きな材料で作る俺好みの味付けの俺の料理

召し上がれ、などとはとても言えないが、ぼくは笑顔で平らげるのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?