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リハビリ

娘とよく、承認欲求の話になる。

いまの子どもは、総じて承認欲求が強い。
承認されるツールありきの世界で暮らしているから、
当然のようにナチュラルにそうなっているみたい。

親世代の私たちにも、
承認欲求を強くもつ人が一定数いる。
そして、承認されなかった時代を埋めるように今、
はけ口のようにSNSでいいねをもらおうとする。

私の承認欲求はどこへいったのか。
娘に、ちょっとたりなさすぎるよと言われて思う。
昔はあったんだ、
目立ちたがりやだったと思うし、
ブログを始めた二十数年前の動機も承認欲求。

見てほしい、理解されたい、すごいと思われたい、
憧れられたい、そんなふうに思っていた。
いつ思わなくなったんだろう?

今のままでいい、
いいことも悪いことも誰にも知られなくていい、
時々家族や友人と共有するような程度でいい、
私を見ないで。
いつからかそうなってた。

SNSをひととおりやっているけれど、
発信することには気を使うし気も乗らず、
途絶えがちなこのnoteといい、そうだ。

でも、結局怖いんだな。
守りたい今があるからこそ、
激しい何かで今をうしなうことが怖い。
私の内面がだいぶ激しくて、
言葉や口調もきつくなりがちで、
現代の流れに合ってないと思うから。

独身の頃、怖いものなんてなくて、
赤裸々に感情ぶちまけた結果の炎上経験があって。
それをものすごく恥じている自分がいるんだよね。
あんなこと、今やったら人として終わりだって。

でも私の中身なんてそう変わってないから、
言わないだけで際どいこと思っていたりして。
家では「それ外では言うのやめなよ」って、
しょっちゅう注意されてるんだ。

なんか、思ってること書けなくなって久しい。
言葉を選んでばっかりで小さくまとまってダサい。

だからって、突然色味を変える気はないし、
裏アカがほしいわけでもなくて、
リハビリしたいなーくらいの気持ちでいる。

娘の友達(娘は友達とは思っていない、というレベルのだけど)がTikTokライブしているのを聞かせてもらった。
信じられないくらい薄い内容で、
それを私たち含め聞きに来ている人がいて、
無の時間なのに、そこに人生を費やしていることに驚いたのね。
これ見下した言い方になってしまうけど、
本当に驚いたんだよね。
私でももう少し内容あること話せるなって思ったくらい。

それでちょっと心が動いたんだよね。
何かもうちょっと踏み込んで書きたいよなって。
たまにでも書けたらなって。
考え中です。
ではまたー。





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