今なぜ「稲村ジェーン」なのか?

30年前は怖くて観ることができなかった

1990年9月に公開された「稲村ジェーン」。私が多大な影響を受けたアーチスト桑田佳祐さんの監督作品です。サントラのCDなどは購入しましたが映画がもし期待外れだったらどうしようと観に行くことができませんでした。きれいな映像と素敵な音楽・・・でも映画としてどうなんだろう?1990年度の日本映画配給収入年間ランキング4位、累計配収額は18億3000万円、観客動員数350万人を記録しましたが、内容については批判も多かったです。そして2021年6月になぜDVD化が発表されたのか?


桑田さん自身「後ろめたかった」

「稲村ジェーン」のDVD化について動いていることは5年以上前知りました。桑田さんのOKが出ないこと、アミューズ(サザンオールスターズの事務所)の大里会長は出したいと思っていることをある人から聞いていました。「どうしたらいいと思う?」そういった彼はアミューズを去り、私の中では「稲村ジェーン」のDVDはもうお蔵入りなんだろうなと思っていました。桑田さん本人は「自分の作品の出来に、内心では確固たる自信が持てなかった“後ろめたさ”もあった」と話しており、今回のDVD発売まで気持ちの整理がついていなかったことが想像されます。

宿題を忘れた夏休み

夏の甲子園予選や部活の試合、練習といった運動部、文化部に打ち込んだり、勉強に打ち込んだり、恋に打ち込んだりという青春が夏休みにはあります。しかし私もそうでしたがそういった夏休み「青春の宿題」が何もできないまま過ぎていく若者も多くいることをドラマや映画は描いてくれません。ヤンキーや暴走族、スポコンの映画はあるのにモンモンと煮え切らない青春を送る人の映画はありませんでした。バブル期に出来た「稲村ジェーン」を今回初めて観たのですが、美しい映像、シーンにピタリとはまる音楽の中でいろんな伏線があるのに観る人に刺さる結末がないこの映画はまさに煮え切らない青春そのものでした。桑田さん自身、「何もない青春を描きたい」とプロデューサーの森重晃さんに話したことがきっかけでストーリーや演出の構想が練られ製作が行われとのことです。1990年バブルに沸いた日本ではこの映画は物足りなかったでしょう。南流石が振り付ける映画内でのダンスもシュール過ぎてジュリアナで踊っていたような当時の若者には理解できなかったでしょう。ただ多くの若者が夏休みを過ぎて抱く「何もない青春」という共感をこの映画は残してくれました。

なぜ今「稲村ジェーン」なのか?

東京2020の盛り上がりの中で、コロナ禍で部活休止や学校もリモート授業などが拡がり1年半近く「何もない青春」が多くの若者に強いられています。今回の「稲村ジェーン」のDVD発売は「何もない青春」に不満を抱き、大人への怒りをぶつける若者たちへのメッセージだったのではないでしょうか?「稲村ジェーン」が1964年東京オリンピック終了後の茅ヶ崎のレイドバックした若者たちの姿を描いていることから、コロナもないのに「何もない青春」を送っていた若者たちがいたんだよというメッセージを感じます。自由なのに何もできない、そんな華やかなスポットライトとは別の人生を小さな線香花火の最後に火球が燃え尽きる「散り菊」と呼ばれる瞬間のような生き様もいいもんだよと伝えている気がします。

福山雅治が主演オーディションに落ちていた

清水美沙と共に主役を演じたのは、吉田栄作・織田裕二とともに「トレンディ御三家」と呼ばれた加勢大周です。美しくて醒めた美男子である加勢大周がこの映画を象徴しています。美しすぎてあっさりしている。もしオーディションに福山雅治が主役だったら、また印象が違ったものになったかもしれません。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?