目的について、あるいは人間賛歌

人類もとい生命の目的は自己複製である。なんて言う人をたまに見かける。昨今のウイルスにしてもそうだし、人間の生きる意味についても。

そのような言説を聞く度に、そもそも単純な自然現象に目的なんて仮定する必要はないのになぁ、なんてことを思う。

人類の目的。そんなものが仮にあったとしても人類には計り知れませんし、知らない方がきっと幸せじゃないかな。DNA の自己複製も目的なんて大層なものに沿った結果ではなくて、自己複製する性質を持つ物質が自己複製をしたら増えていって今こうなっているだけの話に思える。目的というものを持ち出さなくても、ただの性質の話で済んでしまう。DNA に意思なんてきっとないので、別にそれらが増えたがっているとかそういうことはおそらくないです。人類とコミュニケーションを取ることは少なくとも出来ていないので、確認もできませんが意思も目的もないとして不都合はとりあえずない。ウイルスも同じです。ただそういう性質を持ったものがそこに在るだけです。きっと。

あらゆる物事には理由がある、という信仰を私はあまり好んでいません。実存は本質に先立つ、なんて言葉がありますが悲しいけれどそういうものに思えます。塩は我々に塩辛さを与える目的としてある訳ではないように、地球が周るためにある訳ではないように、DNA や生命は増殖するためにある訳ではありません。ただそういう性質をたまたま内包しているだけで、そこに目的や理由はありません。きっと。そうだからそうなんです。それだけなのです。おそらく。

ヒトはたった一つも目的を持たずに生まれ、目的を獲得する。そう考える方が救いがある気がしますし、その考え方はとても幸せだと思います。

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